九十九里町に関東地方甘藷栽培発祥の地碑。
京成の幕張駅を降りて、角のパン屋を越えたらすぐです。
意識してなければ通り過ごしてしまいそう。
青木昆陽は、非常食としてサツマイモ栽培を研究しこの場所で試作をし、そこでできたさつまいもを🍠幕府に差し出し8代将軍吉宗に認められました。
幕張や千葉でサツマイモ栽培が盛んになったきっかけになり、千葉だけでなく日本中あちこちに普及しました。
実際に発生した天明天保の大飢饉の時でも餓死する人はいなかったようです。
この場所には、青木昆陽の功績を讃えて、青木昆陽甘藷試作地として残されて記念碑が建っています。
また、道路を隔てて、昆陽神社があり、この辺りの人たちの青木昆陽への感謝の念がうかがえます。
青木昆陽甘藷試作地 アオキコンヨウカンショシサクチ。
青木昆陽が薩摩芋を試験栽培して成功した場所。
広場の扉には鍵がかかっているようなので外から見るのみです。
近くにも青木昆陽にまつわる命名の昆陽神社、昆陽地下道などの場所があります。
青木昆陽について、詳細な口コミをしておられる方がいるが、当方が「昆陽神社」での口コミに書いたように、「甘藷先生」は、実態的にはサツマイモの栽培を懇切に指導したわけではないし、彼の方法では収穫もまったく上がらなかったという。
指導者は無名の薩摩浪人だった。
にもかかわらず、彼の事跡が称揚されるのは、民衆が生んだ「伝説」というよりは、幕府による「捏造」の疑義が濃い。
享保20年(1735)、青木昆陽によって下総国馬加(まくわり)村(千葉市花見川区幕張町)でサツマイモが試作されたことを記念して県史跡に指定されている。
九十九里町に関東地方甘藷栽培発祥の地碑。
享保20年(1735年) 、不動堂村ほか2箇所で青木昆陽によるサツマイモの試作が行われ、関東で初めて成功した。
九十九里町の豊海小学校の近くにあり、青木昆陽不動堂甘藷試作地として千葉県の史跡に指定されている。
青木昆陽墓 昭和18年5月1日国指定史跡目黒区下目黒三丁目5番 瀧泉寺墓地青木昆陽は江戸時代中期の儒学者、蘭学者です。
名は敦書、通称は文蔵。
京都の儒学者伊藤東涯に学び、幕府に仕えました。
1732年に近畿以西を襲った享保の飢饉の後『蕃薯考』を著し、薩摩から種イモを取り寄せて各地に配布し栽培方法を教え、甘藷(サツマイモ)が関東一円に広がるきっかけをつくりました。
繁殖能力が高くやせ地でも育ち、初心者でも育てやすい甘藷は、飢饉対策として全国で栽培されるようになり、昆陽は人々から甘藷先生と称せられました。
昆陽の遺徳を偲び、毎年10月28日に「甘藷まつり」が催されます。
舌状台地の端にありマンションが多いものの視界は開けている。
名前 |
青木昆陽甘藷試作地 |
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ジャンル |
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電話番号 |
043-221-8126 |
住所 |
〒262-0032 千葉県千葉市花見川区幕張町4丁目598−1 |
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.1 |
さつまいもの栽培を何ヶ所かでやってみてここでだけ成功したそうです。
門扉が閉まっていて中に入れませんが、塀が低いので中はよく見えます。