歴史感じる邸宅で、特別な時を。
千葉市ゆかりの家・いなげ(旧武見家住宅)の特徴
千葉市の歴史的な邸宅で、愛新覚羅溥傑氏が新婚時代を過ごしました。
大正3年に建築された古民家で、美しい庭も手入れが行き届いています。
無料で入館でき、こじんまりとした落ち着いた空間が魅力です。
本日は愛新覚羅溥傑と浩が新婚時代を過ごした思い出の家に行って来ました。
とても静かで落ち着いた空間です。
閉館まじかでしたので、私だけでした。
珍しく鳩が水を飲みに庭の小さな石の水槽に来ていました。
ゆったりとした時間が流れていました。
「ラストエンペラー」こと中国最後の皇帝「愛新覚羅 溥儀」の実弟の溥傑氏が、皇室とも繋がりのある名門公家の嵯峨家長女・浩(ひろ)と甘い新婚生活を送った邸宅です。
夫婦仲は極めて良好だったそうですが、中に展示されている両氏の写真が、本当に顔が幸せと喜びに輝いていて、見ているコッチまでが何だかほっこりしてしまいました(笑)。
溥傑氏は陸軍士官学校を卒業して稲毛にあった陸軍歩兵学校に赴任していて、通勤便利で風光明媚なこの地に居を構えたものです。
今は交通の激しい千葉街道があるだけで「風光明媚?」と思うかもしれませんが、埋立前は隣接する稲毛浅間神社の鳥居から先は砂浜であり(写真参照)、当時は鎌倉・大磯と並ぶ一大海岸リゾート地だったのですよ。
ここに滞在していたのは半年あまりに過ぎず、まもなく満洲国の新京に移ってしまうのですが、溥傑氏は晩年に「ここで過ごした日々が一番楽しかった。
」と回想しています。
この家には忘れがたい、宝石のような美しくて楽しい思い出がたくさん詰まっていたんでしょうね。
建物自体は軍人さんの家なので華美な装飾はなく、質実剛健で簡素なものです。
それからもう一つ室内展示で注目してほしいものがありまして、それは溥傑氏直筆の書の数々です。
溥傑氏は名筆家としても知られていて、流麗な書体は評価も高いのです。
ワタシは氏の書に、流麗な中にも時の流れに逆らわない、何処か飄々とした生き様を見たような気がしました。
アナタはどうでしょうか(笑)。
中国清朝最後の皇帝にして満州国皇帝の愛新覚羅溥儀の実弟である愛新覚羅溥傑が嵯峨実勝侯爵の娘・嵯峨浩と昭和12年4月に結婚して同年9月には満州国に渡る半年間ここに住まいをもうけた。
当時、この地は稲毛海岸の海に面して松林が広がる風光明媚な保養地で、旧居にはささやかな家屋と庭が残る。
地元の友達が、歴史好きの私の為に案内してくれた古民家。
ラストエンペラーの弟にあたる方が、新婚時代に日本人の奥さんと一緒に住んだ場所です。
こじんまりとしていながらとても凝った作りで、お二人の写真が飾られていました。
お庭もとてもきれいに整備されていて、素敵な新婚時代を過ごされていたのだと想像できます。
ここでゆっくりと時間を過ごして当時に想いを馳せるのも幸せな時間の過ごし方だなぁと思います。
大正3年に水飴商鈴木弥吉氏の別荘として建築されたお屋敷です。
昭和12年に愛新覚羅溥傑氏(溥儀の同母弟)と嵯峨侯爵家の長女浩氏が半年間新婚生活を送った屋敷として知られています。
政略結婚ではあったもの夫婦仲は良く、満州国崩壊という時代の激流の中、最後まで添い遂げたといわれています。
近くを幹線道路が通っているのが嘘のように静寂な雰囲気に包まれています。
一度邸内を拝見したかったのですが、本日拝見出来ました。
非常に手入れが行き届いており、心地良く拝見出来ました。
静寂さも素敵ですね。
施設名が何だかわからない(千葉市にあるのに千葉「ゆかり」ってなんだ)。
そのものズバリ、「愛新覚羅溥傑夫妻旧宅」とかなんとかしないと、見つけて来訪する人が少なくなるのでは。
せっかく無料で見られる、勉強になる施設なので、もったいない。
でも、もう現代では「愛新覚羅溥傑」とはどんな人物か、わからなくなっているのかもしれない。
中国の最後の王朝(清朝)の最後の皇帝であった、愛新覚羅(あいしんかくら、これが姓)溥儀(ふぎ)の生涯は、もう30年以上前に『ラスト・エンペラー』として映画化されたのだが、それも若い世代にはわからないだろうか。
ともあれ、溥傑(ふけつ)氏は、その皇帝の弟である。
1932年、日本は現在の中国に傀儡国家「満州国」を建設し、溥儀を皇帝として担ぎ出した。
弟の溥傑は、日本の陸軍士官学校を出て、その補佐役とされた。
そして日本の皇族ではないが昭和天皇の遠戚である嵯峨家の娘、浩(ひろ)さんと日本で結婚し、この稲毛に住んだのだ。
じきにまた中国へ戻ることにはなったが。
どうみても政略結婚だが、二人の仲はすこぶる良かったというのが、救いである。
日本が敗戦すると、溥傑はソビエト連邦に抑留され、ついで中国の戦犯管理所に収容されるなど、辛酸を嘗める。
1960年には特赦を受ける。
夫人と離れ離れに、崩壊した満州国から脱出しようとした波乱万丈の経緯は、とてもここには簡単に書けない。
中華人民共和国においても全人代の委員を務めるほどに名誉回復がなされ、また日本を数次にわたって訪れて、友好関係の構築に貢献した。
夫人は1987年、溥傑は1994年に、ともに北京で亡くなっている。
かなり最近まで生きていた、歴史上の人物と言える。
入館無料で素敵なところです。
歴史的な価値のある建物です。
5月の終わり頃に此方に訪問しましたがコロナのお陰で施設が休館していて見学する事が叶わなかった😹あれから一月半程が経ってやっとゆかりの家が見学することが出来ました。
大正時代の初期に建てられたと伝わるこの建物はその頃の面影を強く残しており歴史が好きな人には堪えられない場所と思われます。
明治〜大正時代の稲毛は避暑地として開拓され千葉県第一号の海水浴場も稲毛の地に開かれました😺清国のラストエンペラー溥儀(ふぎ)の弟溥傑(ふけつ)氏と侯爵(こうしゃく)嵯峨家の長女浩(ひろ)さんの結婚は関東軍が進めていた明らかな政略結婚。
浩さんは最初の頃、外国人である溥傑氏との結婚に前向きになれずに心が落ち込んだそうです。
しかし、浩さんが溥傑氏本人に会ってみると頭脳明晰だけではなく自分の部下を大切にする優しい心の持ち主と解り浩さんはしだいに溥傑氏に惹かれ結婚を決意されました😸結婚後、此方の新居に住まわれた溥傑夫妻。
溥傑氏が千葉の陸軍歩兵学校を卒業するまでの半年間と短い間でしたが此方の住宅で溥傑氏と浩さんは充実した新婚生活を過ごされたようです😺----------------------It is a building of historical value.I visited here at the end of May, but thanks to Corona, the facility was closed and I couldn't see it 😹About a month and a half after that, I was finally able to visit the house related to it.This building, which is said to have been built in the early Taisho era, has a strong remnant of that time and seems to be an unbearable place for those who like history.Inage from the Meiji to Taisho era was cultivated as a summer resort, and the first beach in Chiba Prefecture was also opened in Inage 😺The marriage of Mr. Fuketsu, the younger brother of the last emperor Puyi of the Qing dynasty, and Mr. Hiro, the eldest daughter of the Marquis Saga family, was a clear political marriage that the Kwantung Army was promoting.At the beginning, Mr. Hiroshi was depressed because he couldn't be positive about marrying a foreigner, Mr. Pujie.However, when Mr. Hiroshi met Mr. Pujie himself, he understood that he had a kind heart that values subordinates as well as his clear mind, and Mr. Hiroshi was gradually attracted to Mr. Pujie and decided to get married 😸After getting married, Pujie and his wife lived in this new house.It was a short period of half a year before Mr. Pujie graduated from the Army Infantry School in Chiba, but it seems that Mr. Pujie and Mr. Hiroshi had a fulfilling newlywed life in this house 😺フィードバックを送信履歴保存済みコミュニティ。
昭和12年頃、中国清朝最後の皇帝となった愛新覚羅溥儀の実弟・溥傑夫妻が、半年ほど暮らした邸宅です。
大正初期に建てられた別荘は、平屋の主屋と庭の離れから構成されており、内は、漆塗りの枠の腰付障子、菱格子で飾られた欄間、高く張られた格天井などの意匠が凝らされています。
居間には洋間が付いていますが、これは離れを築いた時の増築です。
保養地としての稲毛の歴史を今に伝える貴重な和風別荘建築として、千葉市地域有形文化財(建造物)に登録されています。
歴史あり庭が有名。
車で訪問。
なかなか入り口がわからなかったが、14号から入る事ができました。
無料駐車場もあり、とても静かなところで落ち着いていて拝覧できました。
ゆかりの家とは何だ? 溥傑の家で良いのではないか?京成稲毛駅から歩いてスグ行ける。
車は稲毛神社の駐車場が便利。
無料!入館料 無料!愛新覚羅溥儀の実弟、溥傑と流転の王妃、浩との半年間の新婚生活の家です。
完全な政略結婚であったが二人の仲は love love ❣️家は大きくないが、立地は別荘地帯の風光明媚な海に面した所であった。
何で? こんな田舎にと思うでしょう?当時、溥傑は作草部にあった士官学校に通っていたので、ここから馬に乗り従者をしたがえて通学!軍服を着て馬に乗った溥傑は、カッコよかったと言ってた人がいた!晩年、溥傑がここに訪れた時!一枚の書を置いて行った。
稲毛にいた時は、『妻とは、仲が良く、まるで夢のようであった。
短い期間であったが想い出すとつい我を忘れてしまうほど幸せだった。
』❣️時代の運命に翻弄された二人の『しあわせだった家』❗️二人にとって、この家に住んでいた時が1番『しあわせ』❣️な時であった!
裏庭に保存状態の良い戦時中の防空壕が残存しています。
建物も庭もよく手入れがされています。
ご夫妻がお住まいの頃はまだ埋め立てされておらず、家の前が海だったのですね。
質素ですが落ち着いた佇まいの建物です。
今より随分静かな場所だったのでしょう。
こじんまりとした住まいに趣のある庭、茶室。
往時の暮らしが想像されます。
市民ギャラリーなのだが場の空気が悪く重い史跡である洋館の2階は造りが面白い。
1200年前からある浅間神社のお隣で目下には海も広がり素敵な景色のなかお過ごしになられたんだろうなと思いました。
月曜日は残念ながらお休みと言うことで中は見られなかったのでまた行きたいです。
時間が緩やかに流れるお屋敷でしたいつまでも過ごせそうです。
5月上旬に訪れるとオガタマノキの清涼な香りがすばらしいです! 絶対嗅ぎに行くべき!!w
愛新覚羅溥傑氏は確か日本人と結婚なさったと記憶しています。
これも、日本の歴史です。
名前 |
千葉市ゆかりの家・いなげ(旧武見家住宅) |
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ジャンル |
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電話番号 |
043-244-5370 |
住所 |
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営業時間 |
[火水木金土日] 9:00~16:30 [月] 定休日 |
関連サイト |
https://www.city.chiba.jp/kyoiku/shogaigakushu/bunkazai/yukarinoieinage.html |
評価 |
4.1 |
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外観からは派手さはなく、しかし室内は職人技が随所に見られて感慨深い。
清掃や庭木の手入れも行き届いている。