公園の隣にある小さな神社です。
たしか社務所などは無く管理している人が見当たらない割にはキレイに手入れがされてるのが不思議な神社です。
由来などがよくわからない神社だなぁと思っていましたが、詳細をクチコミしている方がいらしたので為になりました。
境内のお掃除が行き届いていて素晴らしいです。
公園の隣にある小さな神社です。
社務所はないように見えますが、とても綺麗に整備されています。
拝殿の手前に小さな池があり、鯉が泳いでいました。
小ささの割にとても良い雰囲気です。
地元の方の信奉が厚いらしく、この神社の前を通る時にいったん立ち止まって拝んでいる光景を何度か目にしました。
浦安駅から歩くと20分以上かかるかと思います。
また駐車場は併設していません。
車で行くなら大三角線沿いにあるコインパーキングを使うのが良いと思います。
御朱印は清瀧神社の隣の宝城院で頂けるとのことです。
宝城院管理寺とのことですが、鳥居があり神社らしいのですが、鈴では無く寺の半鐘的なものもあり寺と神社が混ざっています。
清瀧弁財天(せいりゅうべんざいてん)明治44年(1911)6月14日のことです。
町山利郎と内田秋蔵の二人が一番堤防(現在の清瀧弁財天南側付近)より少し離れたところから、一匹の白蛇が松の根元にある穴に消えていくのを見かけました。
驚いた二人は、行者に伺いをたてたところ、「その白蛇は、弁財天の使い姫である」とのお告げがありました。
そこで弁天市という大工に依頼して、祠堂を立てて弁財天を祀りました。
ところが、その一ヶ月後、暴風雨により祠堂が流されてしまいました。
幸い損傷なく発見され、元の場所に安置されました。
その頃から弁天様の霊験が遠くにも知れ渡り、参道には土産物屋などが軒を連ね、境内は参詣人で賑わいました。
ところが、大正6年(1917)10月1日未明の大津波(高潮)により、拝殿や社務所、茶屋や土産物屋などが流出、大破してしまいました。
祠堂は南行徳村の大六天様に漂着し、保管していると聞いたので引き取りに行ったところ、「祠堂の上に白蛇が乗って流れ着いた」ということでした。
その後、弁天様は復興の目処がないまま長いこと放置されていましたが、信者の熱意により、大正13年(1924)に拝殿や神楽殿が再建されました。
昭和24年(1949)には浦安町商工会が中心となって弁財天奉讃会を設立し、本堂、神楽堂の改修築や境内の整備を行ないました。
現在の拝殿は、昭和30年代後半からの地下水の汲み上げにより、地盤沈下が起こり水没したため、昭和55年(1980)、「冬木弁財天」(江東区深川)をモデルに新築されたものです。
この弁天様は古くは生身蛇形弁財天といっていましたが、後年になり清瀧弁財天と呼ぶようになったとのことです。
平成26年(2014)7月 浦安市教育委員会。
This shrine is dedicated to god Benzaiten. The atmosphere is beautiful with a pond. The myth behind the temple goes like, in the early 1900s two people saw a white snake near the site, and it disappeared into the hole at the base of the pine tree a little bit west from the levee most. The two surprised people asked a monk about this incident and got an explanation that white snake was god Benzaiten.So they created a shrine and worshiped the god Benzaiten. A month after that, there was a heavy storm swept everything, but this shrine was found without any damage and in its original place. Later festivals were celebrated and the shrine was developed into a bigger one.
浦安三社に比べると、初詣に来る人は、少ないようです。
御朱印いただきました。
名前 |
清瀧弁財天 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.8 |
浦安パワースポットで検索しヒットした場所です。
派手さはない地元に密着した神社と感じました。