早くから開けていたと思われます。
市原市は山木に鎮座している小さな神社。
広い駐車場もあるので、車でも安心して立ち寄れる。
御祭神は、ホンダワケノミコト。
例大祭は、氏子さん達が境内を綺麗に掃除してくれて、手入れの良さにちょっと感動してしまう。
近くにある白幡小学校は、この神社からもらった名前。
学校内にある椎の木も、白幡神社から移植したものである。
八幡宿から辰巳台に向かう途中にある神社です。
駐車場もあり中規模の神社です。
初詣に向け準備をしていました。
お正月に3社参りの1つで御参りしたのですが、関係者の方が親切で孫たちにみかんとお煎餅をくださいました。
また境内脇にあるミツマタの木を丁寧に管理してあっていいですね。
駐車場:舗装した広い駐車場。
入る時道路からちょっと急。
こじんまりしていますが、ゆったりお詣りできます。
境内は、綺麗です。
崖に向かって真っ赤な鳥居があります。
日の出岬との事です。
山木坂の頂上に位置するので、眺めが良かったんでしょうね。
市原市のこの一帯は、古代に上総国府が置かれた地でもあり、早くから開けていたと思われます。
式内社ではなく、境内に由緒書も見つかりませんでしたが、平成19年ごろに、大規模な整備が行われたようで、地元に大切にされてきた神社ではないかと感じます。
源頼朝は石橋山合戦に敗れて安房国に逃れ、再度挙兵して上総国を通り、陸路鎌倉に進軍していきましたが、そのとき源氏の「白旗」を掲げていたことから、千葉県の内房を中心とする各地に、武神である誉田別命(=応神天皇)を祀るシラハタ神社が点在します。
鎌倉の雪の下に、総本社があります。
……というのが、よくいわれる説明なのですが、個人的には「シラハタ」が「白い旗」なのかは少し疑っています。
「シラ」=「新羅」、「ハタ」=「秦(古代の新羅系の渡来人)」「海(古代語でパタ、またはワタ)」と分解できるのではないかと。
応神天皇は、「三韓(特に新羅)征伐」した神功皇后の子ですし、関係を感じます。
それがなぜ関東の一角に集中しているかなどはわからないので、いまのところ確証はないのですけれど。
良い所(原文)ice place
境内及び駐車場は少し高台にあり、近隣道路交通量が多いですが全く気になりません。
名前 |
白幡神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
当白幡神社は、京都山崎に鎮座する岩清水八幡宮よりの分霊におはし、誉田別命を祭神として古くから山木の郷に住める人々の、崇敬してきた社である。
この創立年代については、明らかではないが我々の先祖が郷中の繁栄と家内御加護を祈念しつつ、天保年間の建立にかかはるものと云い伝えられている。
この社殿は、明治初年火災により焼失したが、焼け残った彫刻物が現社殿の向拝柱上獅子木鼻唐破風懸魚等に再々使用飾られてきており、またこの度の工事に伴い土中より焼失折の柱の残片等が発見せられ、これ等の遺材より想像するに、天保年間に建立された神社は、当時としては近郷の神社に比して決して見劣りのない、非常に優れていた社殿であったことを窺い知ることができる。
【現地案内板より抜粋】大きな駐車場も完備され、近隣においては、比較的規模の大きいお社の内の一つ。
境内も広く、綺麗に整備され保たれています。