江戸幕府から弾圧されるという受難の歴史を持つ宗派で...
白いツツジがきれい。
静かなお寺、迷路のような道を進むとあります。
島地区の迷路状の街並み多古町島は、水田に囲まれた丘状の台地で、その名の通りまさに陸上の島である。
私はこの土地を、Google衛星写真の見た目から「肝臓島」(肝臓に似ている)と密かに呼んでいるのだが、その西側の道路は、まるで肝臓に張り巡らされた血管の様に複雑である。
何故この迷路の様な状態であるのかについては、土地に伝わる歴史が物語る。
江戸幕府治世の昔、宗教政策として禁教とされたのは、キリスト教のみならず、日蓮宗の中でも「不受不施」を教義として唱える一派であった。
不受不施派は、幕府の命に従わない異端として禁止された。
厳しい宗教弾圧の中、表向きは受派を装うも、内実は不受不施の信仰を保っていた。
正覚寺は、内信寺(密かに不受不施を信仰する寺院)として、島地区の全世帯の村人が檀家となっていたという。
隠れ仏教徒となった村人は、度々の幕府役人の取締から逃れるため、現在にも見られる迷路状の道路を敷き、時間稼ぎを図ったのであった。
今は日本国憲法第20条によって信教の自由が保障され、平穏な時代であるが、この地の迷路状の道路を巡る時、当時の人々の強い信仰心と逞しさを思うだろう。
日蓮宗不受不施派の寺院で、成等山正覚寺と称し、江戸幕府から弾圧されるという受難の歴史を持つ宗派です。
寛文5(1665)年から明治9年までのあいだ、表向き寺を持つことができず、僧侶・信者が発見されると島流しなどの刑を受けました。
このため禁教が解け公に認められるようになると、約700年前に日朝により開山された本覚山妙光寺を買い受け、新たに正覚寺として発足しました。
不受不施とは、僧にあっては法華経を信じない者からの布施・供養を受けず、法も施さない。
また信者にあっては法華経を信じない僧には布施・供養を施さず、その教えも受けないというもので、正覚寺のある島地区の住民は、幕府の弾圧を受けながらも大半が不受布施の信仰を続けました。
このため、信者は他人に見つからないように隠れて信仰し、『隠れ日蓮』、『内証題目』とも言われ、家の天井裏などに隠れ部屋をつくり、取締りの目を逃れながらここに隠れ集まって教義を語り信仰を確かめあったといいます。
当寺院の僧侶は、現在でも肉食妻帯はせず、本堂裏側には歴代住職の墓碑が並んでいます。
隣接する三十番神とセットで参拝しました。
名前 |
成等山正覚寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0479-76-5729 |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
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良いお寺です。