雛人形が飾られています。
敷地内に管理棟があり、麻生藩のパネルなどみることができるが、それ以上のものはない(ちなみにその管理棟には本棚があるが、「なめがた文庫」といって貸出がで可能)麻生地区には観光案内所がないので(厳密にいえばコテラスだが)、管理棟にその機能を付加すべき。
パンフだけ置いてあればこと済むものではない。
管理人?の姿が見えなかったり、庭の草むしりをしているようでは、来訪者はガッカリするだろう。
少なくとも関心があって訪れたのだから、地元の(歴史や観光に詳しい)人に色々聞きたいものなのだ(少なくとも自分はそう)。
観光や町歩きのポリシーとして、必ず地元の人と話をすることにしている。
なぜなら、自分たちが住んでいる所をどう思っているのか知りたいし、地元の人も観光客がどう感じているのか興味があるのではと思うからだ。
しかし現状では、一方通行で交流が成立しないため、リピーターは生じにくいだろう。
家老屋敷記念館を通して麻生(藩)の歴史に興味を持ち、更に深めるためにも、将来的に環境整備が必要だ。
◎基本的3要素①事前に書籍やネット等で調べる。
②現地(史跡、文化財)へ赴いて見学する。
③歴史施設があれば足を運び、詳しい人(観光ボランティアや学芸員)に質問する(教えてもらう)。
2011年に道路改良工事に伴う麻生陣屋跡の発掘があり、夥しい出土品が発見された。
(文化財書籍は行方市役所生涯学習課で購入できます)麻生地区には歴史資料館なども無い。
麻生公民館内に展示スペースを設置すれば、より相乗効果が期待できるし、先人の遺産を次世代に継承できるのではないか。
雛人形が飾られています。
家老屋敷の風格は確かに感じます。
茅葺き屋根の造りがすごいですね。
麻生城から東に500m程の場所にあります。
江戸幕府成立後、1604年に麻生藩が成立した際に重臣として迎えられた畑家の屋敷です。
話が脱線しますが、麻生藩主の新庄直頼さんは近江地方の出で、大津城主でした。
関ヶ原合戦では西軍についたために、戦後処理で改易されてしまいますが、後に赦免されます。
その際、この地に3万石を与えられ大名(1万石以上を有する武家)として復帰します。
赦免された理由は西側についた経緯によるもの。
周辺の緒大名がほぼ西軍であったため、東軍につくのが難しかったから。
もうひとつは徳川家康と親密な交流があったから。
色々調べると囲碁仲間だったなんて話もありますね。
そんな新庄直頼さんの元で家老として活躍した畑氏の屋敷なのでした。
歴史を感じる建物、茅葺屋根が良いですね!屋敷内はベンチもあり小休止もできます。
とりあえず、詳しい内容は屋内にパンフレット等が置かれていますので頂いてくると良いでしょう。
駐車場🅿あり、トイレ🚾?
季節柄、吊し雛が飾ってあるました。
(^.^)少し分かりにくい場所ですが、なかなか趣があるましたよ。
お近くに行った際に寄ってみればいかがですか?
凄い古民家です。
夕方、閉館間際の時間だったため、駆け足での見学となった。
昔の、先人達の歴史が伺えました。
麻生藩主では無くて、家老のお屋敷なんですね。
一万石の麻生藩の家老は270石、小藩の苦労を背負っていた姿が見えるようです。
江戸時代,現在の麻生小学校の場所に麻生藩陣屋があり,その周囲に藩士の屋敷が並んでいてその一つが藩の家老職を勤めた畑家 現・麻生藩家老屋敷記念館である 豪壮な入母屋造の茅葺き屋根が特徴 主屋は1856年に火災で焼失し翌年に再建 1890年,福田家の所有となり1991年に福田家より 旧麻生町に寄付された 上層武家住宅の遺構は県内にも数が少なく貴重なもの この日は見学できなかった 館内に展示されていると思われる麻生御殿向表御間取は市指定有形文化財。
雛祭り行事で検索したら、ここが近いので寄りました。
穴場ポイントですね❗️
無料なので何とも言いがたいが、只の空き家っぽくてもう少し説明なり見るものの有り様を考えてもらいたい。
3月30日に立ち寄らせてもらいました。
裏庭の桜が綺麗でした。
ひな祭りの時期ですので、吊しびなも有りました。
静かな場所で落ち着きます。
駐車場は目の前になります。
名前 |
行方市役所 麻生藩家老屋敷記念館 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0299-72-1971 |
住所 |
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評価 |
3.6 |
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麻生藩家老の畑家。
1857年に建てられた母屋と表門が現存する。
江戸時代末期の武家屋敷の特徴を見ることができる。