名前 |
蚕霊神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
御祭神は大気津比売命。
創建年代は不詳ですが、鳥居脇の案内板から引用します。
「孝霊天皇の五年(紀元前二八六)の春三月。
豊浦浜(日川)の漁夫権大夫は、沖に漂う丸木舟を引き上げて見ると、世にも稀な美少女が倒れていた。
少女は天竺(インド)霖夷国霖光の一女金色姫。
母光契夫人の没後に入った継母は、もの凄い妬み者。
国一番の美女ともてはやされる姫が憎くてたまらない。
思い余った末、獅子山、鷹の巣山、絶海の孤島に押しこめてしまったのに、その姫は獅子に鷹に漁夫に助けられて戻ってくる。
業を煮やした継母は、城の片隅に穴を掘って埋めてしまった。
こうなればと不気味に笑った継母は驚いた。
埋めた場所から、まばゆい金の光がさして来たからである。
憎さ百倍した継母は、桑の木で作った丸木舟に押しこめて、大海に投げ込んでしまった。
流れ流れた丸木舟は、常陸国豊浦に流れつき権大夫に救われたのだった。
余りにも数奇な運命に心痛めた権大夫は、わが事して愛育する甲斐もなく、病死した姫は小虫となり変わってしまった。
これも姫の化身と桑の葉を与えて飼育していると、四眠して五回目に美しい糸を吐きながら、繭を作ってその中に納まってしまった。
その繭から繰りとった絹糸で降上げられたものが、見事な常陸絹織となって、その名声は高く、各地に広がっていった・・・」いやはや、シンデレラでもそうですが、ママ母とは実に恐ろしいものでありますね。
蚕影神社(つくば市神郡)・蚕養神社(日立市川尻)と共に、常陸三蚕神社の一社であり、同じような金色姫伝説があります。
これについては、様々、優れた知識人の方々が説を述べられているようですので、私如きがどうこうコメントするのは差し控えるとしましょう。
かつて繁栄を極めた当地の養蚕業は絶えてしまいましたが、当社の境内は丁寧に掃き清められ、つややかなる狛犬の存在感、そして朱鮮やかな社殿もまた美しい造営であらせられます。