耳面刀自媛は、藤原鎌足の娘で、大友皇子=弘文天皇妃...
地域の住民の安堵できる神社。
内裏神社だいりじんじゃ千葉県旭市泉川1502−1祭神耳面刀自媛(みみもとじひめ)大友皇子の后房総半島に頼朝伝説、弟橘媛伝説が多いのは当然予想されますが壬申の乱の敗者である大友皇子の伝承が多いのは意外です大友皇子は乱後、畿内で処刑されたがその后が房総半島まで逃げ延びたのは信じがたいが実際に后神を祀る神社が存在するのは不思議な感じがします2020/9/10 参詣。
御祭神:耳面刀自媛(みみもとじひめ) 社伝によれば、耳面刀自媛は、藤原鎌足の娘で、大友皇子=弘文天皇妃。
壬申の乱後、海路父鎌足の故地鹿島を目指し東国に下ったが、途中海難に遭い現在の匝瑳市野手の野手浜に漂流し、白鳳元年(672)9月23日に20歳の若さで病歿した。
近江朝廷の右大臣中臣金の子中臣英勝(なかとみのあかつ)をはじめとする従者たちが媛を野手に葬った、匝瑳市野手内裏神社には媛の墓とされる内裏塚古墳があった。
妃の従者の子孫が平安時代末期に野手の内裏塚の墳土を分祀して、ここに祀ったのがここ旭市の内裏神社という。
内裏神社の近くには大塚原古墳があり、中臣英勝の墓とされている。
明治24年偶然に盛土が崩れ、若干の人骨と墓石と見るべき石面に「連金子英勝」と刻まれているのが発見された。
壬申の乱後処刑された近江朝廷の右大臣中臣連金(なかとみのむらじかね)の子の英勝とみられている。
名前 |
内裏神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
毎年御参りいつてます、霊験あらたかな、感じします。
信者増やしたいです。