碑のそばに植えられている大木が圧倒的存在感を醸して...
大掾氏の本拠地です。
戦国末期に佐竹義重により攻められ落城し、大掾氏は滅亡しました。
遺構は宅地化によりほとんど見られませんが石岡小学校敷地内に立派な土塁が存在します。
本丸跡と言われる台地の先端部分から二の丸の間にも見事な大堀切が見られます。
宅地化はされていますが、城塁でもある舌状台地が素晴らしいですね♪綺麗になった陣屋門の脇を赤いトラクターが走り抜けるのどかな場所でした。
律令時代に常陸国府として設置されたが平将門の乱にて国府機能が衰え、在庁官人であった大掾氏により府中城として築城されたそう。
鎌倉時代から戦国期の大掾氏滅亡の後も府中藩の陣屋として置かれたよう。
碑のそばに植えられている大木が圧倒的存在感を醸していました。
この場所には石碑が、道を挟んだ場所には土塁跡があります。
府中城があった場所は、常陸国の国衙が置かれた地でもあります。
石岡小学校構内には、国衙の記念碑と府中城の縄張り図のある案内板が並んで建てられています。
府中城の縄張り図を見ると、丘陵の上に築かれ、本丸・二の丸・三の丸や3つの出丸を配置し、幾重にも濠を廻らした、なかなか堅固で城の規模もある城であったようです。
現在は、石岡小学校に土塁の一部と、文政年間にたてられた陣屋の表門が、府中城の面影をかろうじて今に伝えています。
数百年の歴史の積み重ねを、一遍に目の当たりできる場所と思いますお城跡には、奉安殿があったということです。
大掾氏の治めた府中城(常陸国府)の跡。
近くの資料館の常設展では大掾氏を取り巻く歴史を知る事ができる。
小学校の敷地内である為、日にち、時間などによっては立ち入りできない。
名前 |
府中城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
学校の中に有り探すのに苦労しました。