離れている人への想いを伝えてくれます。
白金の大地にもこんな坂があるんだ。
と思って坂上の公園で休憩していて偶然発見。
普通の用水路です。
この三田用水は江戸時代に人口が増えて飲み水が必要となり江戸市中に用水場を作りました。
玉川上水や神田上水は有名ですが、その他に青山上水、三田上水、亀有上水、千川上水と作り市民の飲み水を確保しました。
これが三田上水の名残です。
江戸市街の拡大で増水した水の需要に応じるため、寛文4年(1664)に玉川上水の水を下北沢で分水したものです。
用水路は断面がわかるように残されており、水路の位置を示すために地上には色違いのタイルが並べられています。
広尾の勤務先から品川駅までを歩いています。
以前よりここは水路の跡だなと気付いておりましたが、ここが三田用水跡だとは知りませんでした。
今は無くなった過去の水の流れが、離れている人への想いを伝えてくれます。
名前 |
三田用水路跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.minato.tokyo.jp/takanawakyoudou/digital-archive/photo/archives/976.html |
評価 |
3.4 |
三田用水は、かつて東京都世田谷区北沢から目黒区三田方面を経て白金猿町に流れていた用水路であります。
既に廃止されていて一部で名残が残っている所があるだけです。
現在では暗渠化されていたこともあり遺構はあまり多く残っていないが、玉川上水からの分水地点、現在の東京大学駒場キャンパス付近の一部等に見られます。
ここには、説明板もあり橋脚のような構造物があった名残りも見られます。