江戸初期に創建された長い歴史を有する寺院。
目黒通り南側の下り斜面にある日蓮宗の妙圓寺、江戸初期に創建された長い歴史を有する寺院。
境内には樹木が茂り、訪問時の8月、百日紅の花が満開でした。
高層の商業ビルが立ち並ぶ賑やかな表通りと対照的な静かな別世界が広がっていました。
妙圓寺には山の手七福神の寿老人と福禄寿が祀られ、稲荷大明神の社もあります。
誠瀧山妙円寺といい日蓮宗のお寺になります。
御本尊は三宝尊になります。
瀧本院日忍(俗称瀧本釆女、元和六年:1620年寂)が開山となり創建したといいます。
瀧本釆女が足利幕府に仕えていた時に足利義輝より拝領したという、妙見大菩薩(仏教の天部の一つ)の他に山手七福神の寿老人尊・福禄寿尊が境内にある妙見堂に祀られています。
昭和二十年(1945年)の東京大空襲により諸堂を焼失したが、昭和二十九年(1954年)に本堂、妙見堂とともに再建さた。
妙見大菩薩は北極星または北斗七星を神格化したもので、尊星王・北辰尊星王などとも呼ばれる。
【ご先祖様が一番都会に✨】JR目黒駅か東京メトロ白金台駅からほど近いわが家の菩提寺。
その昔、中目黒に住んでいた時代に祖父が建てたお墓に、今は両親も眠っている。
生身の人間たちは埼玉県越谷市で暮らしているが、今朝は思い立ってお墓参りに来た。
わが家ではご先祖様が一番都会にお住まいだw新緑の美しいこの季節、しかも朝一番にお墓参りをさせていただき、お墓参りの後は、御本堂と七福神の福禄寿・寿老人のいらっしゃるお堂、その奥のお稲荷も忘れずにお参り🙏おかげさまで、心洗われた日曜日の朝でした✨
元祖山手七福神の一つ。
御朱印をいただく際も靴を脱いで仏様にお祈りします。
とても気持ちが良いお墓です。
風が心地良く、お墓の入口にベンチが有り、墓参りした後、一息つくことが出来ます。
三田線・白金台駅・1番出徒歩5分JR ・ 目黒駅東口出口・徒歩10分東急目黒線・目黒駅東急中央出口・徒歩10分13代の足利義輝の家臣、瀧本弾正忠光が元禄7年に、義輝から足利尊氏公開運の念持仏である妙見大菩薩像を賜りました。
その子の滝本采女は日蓮宗の僧侶となって、賜った妙見大菩薩像を祀って、自邸のある碑文谷に開山昭和20年5月に戦禍により焼失昭和29年本堂と妙見堂を再建墓地の整備を行い、昭和36年には書院と庫裡が完成しました。
境内には寿老人尊と福禄寿尊を祀っており、山手七福神のいる寺院として広く知られています。
山手七福神(福禄寿尊・寿老人尊)。
大通りから坂を下った先に駐車場もあります。
こじんまりとした雰囲気。
本堂左手のお宅で御朱印イタダキマシタ。
山手七福神巡りで参拝しました福禄寿様と寿老人様の2つが祀られていました白い階段、靴を脱いで上がりました。
元祖山手七福神巡り三ヵ所目です👍
住宅に境内を浸食されてる感じが否めない。
御朱印をいただくために登る階段、段数も10段ありませんが、足腰の弱い方は、つるつるで降りる際には、手摺りを使わないと危険です。
三田線・白金台駅・1番出徒歩5分 JR ・ 目黒駅東口出口・徒歩10分 東急目黒線・目黒駅東急中央出口・徒歩10分 13代の足利義輝の家臣、瀧本弾正忠光が元禄7年に、義輝から足利尊氏公開運の念持仏である妙見大菩薩像を賜りました。
その子の滝本采女は日蓮宗の僧侶となって、賜った妙見大菩薩像を祀って、自邸のある碑文谷に開山 昭和20年5月に戦禍により焼失昭和29年本堂と妙見堂を再建 墓地の整備を行い、昭和36年には書院と庫裡が完成しました。
境内には寿老人尊と福禄寿尊を祀っており、山手七福神のいる寺院として広く知られています。
とても親切にご朱印を頂くことが出来ました。
山手七福神で参拝。
1/2午前中に訪問。
人は少なく落ち着いて参拝できました。
2018年元旦。
山の手七福神、福禄寿と寿老人を祀るお寺です。
本堂横の福禄寿と寿老人を祀るお堂にて色紙に福禄寿と寿老人の御朱印をいただきました。
山手七福神のお寺です。
日蓮宗寺院。
平成27年5月参拝です。
七福神の中の一つです。
目黒駅から、徒歩で行けます。
目黒通りに入り口があります。
山手七福神の福禄寿尊・寿老人(じゅろうじん)です。
日蓮宗のお寺です。
名前 |
妙圓寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3441-3593 |
住所 |
|
評価 |
3.9 |
街の喧騒を忘れる事ができる一画です。