寛政十二年の刻みあり。
今から700年前に建てられた板碑。
高さ4m・幅70cmの板面いっぱいに南無阿弥陀仏の名号が堂々たる書体で彫られています。
名号板碑の最高傑作です。
彫りの深さが4cm、まさに鎌倉時代の板碑を象徴する豪快さ。
第1級の石造芸術作品です。
寅子石の哀しい謂れ板石塔婆は延慶4年(1311年)に、親鸞の高弟であった真仏法師の法要供養のため、唯願が銭150貫で建てたものである。
しかし、この碑は「寅子石」という名で呼ばれ、この地方に伝わる悲劇を語り継いでいる。
この付近に住む長者夫妻には、寅子という美しい娘がいた。
成長するにつれてその美しさは際立ち、周辺の若者達は毎日のように長者の許を訪れて嫁に欲しいと頼み込んできた。
最初は喜んでいた夫妻であるが、求婚話のせいで周囲でいさかいが起きるようになり、寅子も自分の為に騒ぎとなる状況に心を痛め続けた。
ある時、長者夫妻は寅子に求婚してきた若者全員を酒宴に呼んだ。
いよいよ寅子の婿が決まる時と若者達は勇んで屋敷を訪れた。
そして豪勢に盛られた膾(なます)を肴にして酒を呑みその時を待ったが、一向に肝心の寅子が現れない。
若者達が長者に詰め寄ると、長者は涙ながらに語った。
皆の者に求婚され悩み果てた寅子は自害しました。
最期に「皆様に等しくこの身を捧げたい」と望んで死にました。
先ほど出しました膾こそ、寅子の腿の肉。
寅子の遺言通り皆の者に等しく分け与えました。
その言葉を聞いた若者達は言葉を失い、そして己の浅ましさを恥じ、寅子の冥福を祈るために全員で供養塔を建立したという。
知る人ぞ知る史跡…じゃなくて?
庚申塔、と刻まれてますな⊂(・ε・`)ノシ.:∴右側に、寛政十二年の刻みあり。
ここから東南方向、綾瀬川対岸の丸ヶ崎薬師堂境内の子膾神社(子なます神社)と合わせて、この板碑には寅子(とらこ)伝説という、とてもこわくて悲しい伝説が伝わっています。
名前 |
板石塔婆(寅子石) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.hasuda.saitama.jp/bunkazai/kyoiku/bunkazai/kyodo/torako.html |
評価 |
4.0 |
他の方で素晴らしい説明がありましたので、割愛。
この板碑、レプリカが大宮公園にある私立博物館にあります。
他にも県内の有名な板碑がありますので、是非足を運んでみてください。