落ち着いた雰囲気のよい神社です。
落ち着いた雰囲気のよい神社です。
多門寺の獅子舞は、加須市の無形文化財です。
多門寺愛宕神社(たもんじあたごじんじゃ)御祭神 軻遇突智命境内社 浅間社 三峯社 皇大神宮 金刀比羅宮 天神宮 稲荷社 御嶽社由緒多門寺の地名は、その昔当地に多聞寺と称する寺があったことから名付けられました。
この寺は天正年間(1573~1592)大水に流され現存していません。
社記によると、天正の末に古利根川の堤防が決壊し、村中が濁流に押し流され荒廃しました。
文禄年中(1592~1596)上新郷川を塞ぎ、これより村内を開墾しました。
その折、現在愛宕山と称する古塚に、慶長年中(1596~1615)愛宕神社を勧請し鎮守として祀りました。
(埼玉県神社庁「埼玉の神社」参照)加須市指定無形民俗文化財「多門寺の獅子舞」始まりは約三百年前といわれ、江戸時代中期に愛宕神社の創立に端を発したと伝えられています宝暦三年(1753)「新熊」と称する塗師が塗替えたという記録があり、明治時代頃まではその子孫が多門寺にいたといわれています。
七月二十三日の近い土曜日の神社祭に愛宕神社で奉納の舞を見ることができます。
翌日曜日厄払いとして一軒一軒回ります。
(加須市教育委員会設置「境内案内板」及び「加須インターネット博物館」参照)社殿の乗る石垣のちょっと手前左側に並んでいる石碑の内に、明治二十四年(1891)六月建立の三角形の芭蕉句碑があります。
東久世通禧の書いた「花さかり山は日ころの朝ほらけ」桜花爛漫の季節、さぞやこういう日の山の夜明けは一種独特の明け方をするのであろうと待っていたが、なにいつもと変らぬ明け方をしたという意味です。
東久世通禧は、幕末の朝廷で尊皇攘夷を唱え活躍した人物で、文久三年(1863)八月十八日、文久の政変で京都から追放された七人の公卿のひとりです。
三角形の芭蕉句碑の下側には、芭蕉の句よりも太く大きい字で櫻居許十の句が刻まれています。
久米幹文の書いた「敷島ややまと心を花に退く」櫻居許十は諸術の免許皆伝十種という人物で、久米幹文は国学者です。
本居宣長の「敷島の歌」に関連して、諸術免許皆伝の域に達した人物の「大和心」を表しているように思われます。
(個人的な解釈です)
いわゆる地元の氏神様の神社ですが、祭事には無形文化財の獅子舞などが見られます。
寺社仏閣に興味を持った切っ掛けの神社。
火防の神として祀られることの多い愛宕神社だが、当社は村の鎮守として厄病除けの神としても祀られている。
慶長年間(1600年前後)に京都の愛宕神社を勧請したと伝わるので、祭神は火産霊命(カグツチ)だと思われる。
愛ago神社?アドゴク神社?(原文)愛宕神社?阿多古神社?
加須市多門寺〔愛宕神社〕参道にたくさんの碑が建っているが、その一つが芭蕉句碑で、 花さかり山は日ころの朝ほらけ はせを 明治24年(1891)建立の碑。
下段に鈴木許十の句が刻まれている。
敷島ややまと心を花に退く。
愛宕神社?阿多古神社?
名前 |
愛宕神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0480-65-2088 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
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関東最古の神社とのこと。
後殿が立派で声がでました。