余り大きな神社さんではないですが、由緒を感じる。
少し寂し感じです。
池上郷総鎮守。
当初は岩倉社と称した。
幕末に現在の古宮神社となる。
社務所で宮司さんに直書き御朱印を頂きました。
親切な対応でした。
他の神社の兼務もされているようです。
オリジナル御朱印帳もありました。
熊谷には神社が点在してますが北側にあるこの神社は銀杏の季節がベストですね2020年11月に参拝御朱印もいただきましたちなみに上熊谷にある愛宕・八坂神社の御朱印もここでいただけます。
余り大きな神社さんではないですが、由緒を感じる。
こちらでは4箇所の神社さんの御朱印を頂きました。
旧池上村(熊谷市池上)鎮守で村社格だった池上集会所を併設している熊谷と羽生をつなぐ旧道(県道128号線)沿いに鎮座する古い神社で創建は平安末期、かつては岩倉大明神と称されてきた県道に面して参道があり左手の社務所裏手と参道右手に駐車スペースがある有人の時はお札や御朱印などの拝受が可能市指定無形民俗文化財として池上獅子舞が登録されていて標柱がある道路に面する部分は玉石垣になっていて入口に社号柱、石鳥居、常夜燈少し奥に二の鳥居、左手に社務所や昔の社号柱神社由来を彫った御影石の看板など二の鳥居の扁額には古宮神社岩倉大明神とあるさらに御神灯、狛犬があり社殿に至る社殿は日吉造りの拝殿にフェンス状の瑞垣に囲まれた覆い屋がつながる拝殿内部は畳敷きで奥に金御幣が見える社殿左には末社の稲荷社、鳥居二基と狐石像銅葺一間社流造りの祠が建っている右手には愛宕、天神、靖国の三社祠があるその他社殿周囲には石祠が多数。
熊谷うちわ祭のオリジナル御朱印帳に古宮神社、八坂神社、愛宕神社の御朱印をいただきました。
スゴく良かったです。
(✪▽✪)お手入れもされており、宮司さんも気さくな方です。
春や秋にまた、訪れたいと思います。
熊谷市のうちわ祭りの御朱印をもらいにきました。
御神木のパワーいただいてきました。
またソテツの樹木が立派でしたので写真に撮ってきました。
今、この時期は昼間でも藪蚊が多いです。
獅子舞が有名なのでお祭りの時見たほうがいいです。
御朱印頂けました お参りに伺った時私たちの他は無く 宮司さんとおぼしき方が境内の整備をされておりました 御朱印をお尋ねするとすぐに対応してくださいました ご迷惑でなかったらいいのですが...近くに行く事があれば またお伺いいたします。
2回ほど行きましたが、誰もいなくて御朱印頂けませんでした。
社務所は開いていたのに。
残念です。
神職さんが気持ち良く対応してくれます。
茂木宮司がとても良い人。
木々も素敵な所だと思います。
駐車場があります。
御朱印が頂けます。
境内の掃除中でしたが、丁重に対応して頂けました。
きれいにされていて、とてもよかったです。
小規模ながらも綺麗に清掃・整備されていました。
訪問時は、お祭りをやっていました♪
名前 |
古宮神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
048-522-2299 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
古宮神社(こみやじんじゃ)主祭神 石凝姥命相殿神 少彦名命 武甕槌命境内社 稲荷社 合殿(愛宕社・天神社・靖国社)由緒池上村 岩倉社 村の鎮守なり。
皿尾村久伊豆雷電両社の社人、青木主殿の持なり。
(「新編武蔵風土記稿」参照)池上は、中世埼玉郡の内にあった池上郷の遺名です。
池上郷についての詳細は不明ですが、当地が荒川の扇状地内にあり、下流に当たる部分に低地帯が広がっていたため、大昔には当地の下で荒川がしばしばその流路を変えたとき、流れの跡には数多くの池が生じていました。
池上の地名はこの辺から付けられたと考えられます。
当神社は「風土記稿」に「岩倉社」と載り、また幕末に掲げられた社号額に「古宮神社・岩倉大明神」と書かれているように、古くは岩倉社、又は岩倉大明神とも称していました。
岩倉とは、磐座で、磐は堅固の意で、神の鎮座する所を表しています。
これは、神が社殿に祀られる以前の状態を示し、当神社の創祀が古いことを物語るもので、古宮と呼ばれる由縁と思われます。
社家である茂木家の記録によると、当神社は古代に、現・和歌山市秋月にある旧宮幣大社日前国懸神宮を勧請したものです。
初めは、社殿は造らず、新たに社殿を造立したのは、平安末期の長寛二年(1164)一月であるといいます。
御祭神は、天岩屋戸の段に、鏡を作って天照大神を慰めた石凝姥命です。
なぜ、和歌山に祀られ鏡作部の遠祖とされる同神が、この地に勧請されたか不明ですが、埼玉地方は武蔵国の古代文化の中心地の一つであり、近くには金錯銘鉄剣で有名な埼玉古墳群があることなどを考え合わせると、当地に神部(鏡作)ゆかりの人たちが住み、当神社を祀ったとも考えられます。
更に、茂木家の記録によれば、鎌倉期の寛喜二年(1230)に当地方の名族成田助広が当地に住み、池上藤兵衛と称して当社を厚く崇敬し、社殿を再建してその規模を大きくし、以来、当神社は池上郷総鎮守と仰がれるようになりました。
その後、当神社に対する信仰は高まり、これを受けて室町期の文安二年(1445)五月五日には、相殿の神として少彦名命と武甕槌命を勧請しました。
また、当地の神主茂木大膳は、京都石清水八幡宮に奉納された獅子舞を拝観して感ずるところがあり、これを習得して帰り当地に伝えました。
以来、この獅子舞(熊谷市指定無形民俗文化財「池上獅子舞」)は、今日まで続けられています。
江戸期には、当神社の信仰は江戸市中まで広まった様子で、寛政七年(1795)九月には、当所の村田辰右衛門と江戸浅草三筋町の夏目大八とで、社前の敷石五十枚を奉納しています。
社頭いよいよ盛んになった安政二年(1855)二月には神祇管領より「武蔵国埼玉郡池上村古宮神社・岩倉大明神」と記した幣帛が調進されています。
(「埼玉の神社」参照)