実際に足を運ぶと、大きさに圧倒されます。
この古墳何が素晴らしいかって「登れる」んだよな。
歴史的にもここに陣を敷いたことを観光名所にしないといけないんだけど、素晴らしいぜ!さすが埼玉山古墳の埼玉県!
「さきたま古墳公園」は桜の名所としても知られています。
桜の木が集中しているのが「丸墓山古墳」とその周辺です。
丸墓山古墳は「忍城の戦い」で石田三成が本陣をおいた場所です。
9基の大型古墳からなる古墳群がありますが、そのひとつです。
直径105メートル、高さ18.9メートルの円墳で、「埼玉古墳群」の残り8基は前方後円墳なので、唯一の円墳です。
大きい円墳です、そして、忍城水責めの時陣が古墳の上に有ったとか!そして、古墳の上からは遠くまで見渡せます。
川や池が多く、そして、高低差があまり無い土地のようです、水責めもしやすそうですし、古墳の時代では、食べ物が多く作れて、豊かな土地だったのですかね~
丸墓山古墳は前は日本一の円墳と言われていました。
説明板にも書いてありますが、今は奈良県の円墳が一番大きな円墳になったので、今のパンフレットには最大級の円墳と書かれています。
円墳上には戦国時代には上杉謙信や石田三成が忍城攻めで陣を張ったとされています。
一時、航空写真の映像により前方後円墳と言われた時がありましたが、今は円墳に固まりました。
上の状態も変わりました。
円墳径105m高さ17.2m造られたのは六世紀前半。
とてものどかで、ちょうど良い運動となる散歩コースです。
歴史にも触れることができて、子ども連れて行くのは良い場所です。
ピクニックもできるような場所です。
特別史跡埼玉古墳群を構成する円墳。
円墳の中では日本最大級の大きさとのことでとても立派な古墳です。
またこの古墳は墳丘の上に登れるので周りに見える古墳群を眺めることもできるビュースポット。
日本最大級の円墳だけあって結構高くて見晴らしがいいんですよ。
そしてここから行田の市街地を眺めるとのぼうの城で有名な忍城の三階櫓が見えます。
なんと豊臣秀吉の小田原攻めの際、忍城攻略を命じられた石田三成はこの見晴らしのいい墳丘を本陣にしたというから驚きです。
三成はここに陣を構えながら忍城を水攻めにしたんですね。
そして結果は城を落とすことができなかった、という三成にとっては散々な場所でした。
歴史のダイナミズムを感じてしまう楽しい古墳ですよ。
2箇所から登れます。
南側からの階段は、直線的で急勾配、北側からの階段は、蛇行にしていてなだらかです。
足元が不安定なので、天候の良い日に行くと良いです。
東日本最大級の大きさを誇る円墳で、頂上まで階段で登れるように整備されています。
古墳の頂上は展望が開けており、撮影時は梅雨時で見通しはまずまずでしたが、行田の田園風景、 金錯銘鉄剣の出土した稲荷山古墳を初めとする他のさきたま古墳群の古墳、古代蓮の里展望タワー、忍城、埼玉北部最大の都市である熊谷市の街並みといった文化的な風景を望むことができました‼️写真は丸墓山古墳から望む行田らしい風景、稲荷山古墳群と古代蓮の里展望タワーです。
「丸墓山古墳」⇒「マルハカヤマコフン」と読みまする。
直径105m高さ18.9mで 日本最大級の円墳ですぜ!!!麓(ふもと)の「石田堤」からまっすぐ繋がっている階段で円墳頂上まで登れます。
なんと古墳に歩いて登れるのです!!!この登る階段がナカナカ手強くて、下から30段目ぐらいに平らな踊り場があるのですが、それを過ぎたら古墳頂上まで休憩場所が有りませんので一気に登ります。
これが結構と云うか かなりしんどい運動になりました。
しかし頑張って登った古墳頂上からは360度の景色が待っています。
かの「石田三成」さんが亡くなる10年前の30歳の頃 小田原方(北条氏)に付いた「成田氏長」さんの本拠を水攻めの包囲戦を行った「忍城の戦い」の時、この「丸墓山古墳」頂上に本陣を敷いたと云います。
西の方に目を向けると 本当に小さく「忍城御三階櫓(オシジョウゴサンカイヤグラ)」望むことができまする。
うぅーむ 絶景かな「石田三成」さんが本陣を敷いて戦をしていた時 古墳の中で眠っていらっしゃる主の方は騒々しかったことでしょうね。
う~む。
確かに小高い丘になっている。
回りは平野なので、盛り上げたことはまちがいなさそうだ。
全国に小高い山の様なものがあるが、やはり古墳なのかもしれない。
今でこそ古墳という認識はあるが、かつてここで戦の陣地を張った人たちはどうだったのであろうか?そんな想像も掻き立てるロマンがあります。
円墳は、富士塚とも似ていると思うので、登って御利益っていう感じもあったのでは?なんて想像もしてみてしまいます。
いずれにせよ、歴史の史蹟ということには変わりがないので、大切にしたいものです。
国の指定史跡に指定されている埼玉古墳群の一つである日本最大級の円墳と言われている古墳🌿🌿その通りで巨大な円墳で驚いた‼️‼️‼️また円墳にも登れて行田の田園風景や埼玉古墳群を一望できるのは最高でした😃訪れた日は雨でしたので余り景色的にはイマイチでしたが晴れている日ならヤバいかもです😃😃桜の時期に来ると周りが桜並木や頂上に植えられている桜が綺麗に咲いてまるで簪を刺した花魁さんに見えて素敵です🌸🌸🌸周りの堤は豊臣政権を最後まで支えた五奉行のうちの一人である安土桃山時代の武将、大名・石田三成殿が忍城水攻め作戦時に作った堤らしいのでそちらも必見です🦉
大きくて高さがある古墳です。
登ると360度、見渡せるので景色がよかったです。
群馬県の山が見えました。
歴史は、詳しくないので調べてください。
この季節の丸墓山古墳は素晴らしい。
墳頂の桜は盛りを過ぎていたけど廻りの桜と相まって美しい景観を保ていた。
案内板を見て思い出した、つい先般までは日本一大きい円墳で認められていたのだけど残念ながら奈良の円墳(冨雄丸山古墳)が再調査で日本一になったと喜んでいたなぁ。
(追記)あれまぁ、今頃知ったわ。
忍城水攻めに際し、この丸墓山古墳に石田三成が陣を張っていたとは、中世に疎いのが災いした。
墳頂に説明の案内板を写真撮ってたじゃん。
しっかり忍城を確認したかった。
そういえば、あの時熱心に遠望してる人がおった。
日本一の円墳に格上げされた富雄丸山古墳見学してきたけど、美的感覚ゼロで何の感動もない。
ここは美しかった。
クチコミを読むまで日本一の円墳の認識がありましたが、奈良県の円墳(冨雄丸山古墳)の再調査で日本一の座を明け渡した事を知りました。
以前の桜の季節に頂上の桜🌸をテレビ朝日の宇賀なつみアナウンサーが全国の桜中継の取材に訪れたこともあります。
駐車場🅿️から桜🌸の季節は咲きほこり、とても見事です。
今年の桜🌸の季節の便りを耳にしたが、出掛けたところ見頃前でした。
子供のころの思い出は、現在の市役所(旧の中央小学校🏫🎒)から丸墓山まで毎日駅伝競争の練習のため通った事を今でも思い出します。
同時の古墳は現在のように整備されておらず材木で頂上に登る道もなく、かなりきっかった事を丸墓山を見る度に思い出します。
桜の時期に毎年訪れていますがとてもきれいです。
何年か前まで丸墓山古墳の周りに菜の花が咲いていて淡いピンクと黄色のコラボがとても良かったのですが、菜の花は刈り取られてしまったのかな?
「丸墓山古墳」は直径が約105メートル、高さが約18.9メートルある日本最大の円墳です。
作られたのは、古墳の周囲から発掘された埴輪から6世紀の後半ころと言われています。
しかし、発掘調査がされていないのではっきりしたことは判明していません。
1590年の豊臣秀吉と小田原北条氏の戦い(小田原の役)で忍城を水攻めにした石田三成が、水攻めの進行具合を確認するために「丸墓山古墳」の頂上に本陣を築いたとされています。
また、駐車場側から「丸墓山古墳」へ至る道は周囲より少し高くなっていますが、これは石田三成が水攻めで築いた「石田堤」の一部だそうです。
「忍城おもてなし甲冑隊」の方は丸墓山古墳の階段が98段と数えたそうですが、ぼくが数えたら90段でした。
おもしろいことに駐車場側からの階段も裏側へ降りる階段も同じ90段です。
数え間違えたかな? かなり息が切れますけど、見晴らしは最高なので是非頑張って登ってみることをオススメします。
さきたま古墳群で登ることができるのは、「丸墓山古墳」とお隣の「稲荷山古墳」だけです。
下記の写真にも掲載しましたが、頂上には忍城方面の説明板があります。
確かに忍城が見えます。
かすかですが。
これが400年以上昔ならばもっともっとくっきりと見えたことでしょうね。
丸墓山古墳には謎がいっぱいです。
これだけ大きな古墳が、なぜこれだけ円墳なのでしょう??
小説のぼうの城で有名な忍城の水攻め、豊臣方大将の石田三成は、ここに本陣を置きました。
中々降伏をしないのでイラついてたかもしれません。
名前 |
丸墓山古墳 |
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ジャンル |
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電話番号 |
048-559-1111 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.3 |
忍城攻めの石田三成の陣地として納得。
標高19メートルの高さから、忍城を見渡し、水責めのための築堤もここで指揮できる。
城を囲む味方の配置もよく見渡せ、当時の指揮官の気持ちを妄想できる愉快な場所だ。
それにしても、こんな大きな円墳を作ることができた首長はどれ程の存在であり、その経済力を持たせたこの土地の豊かさほ如何許りだったのだろう?