2019/02/24 初訪問Geocachingと...
第3代天台座主円仁(794ー864)ゆかりの寺と石碑にあります😵真言宗智山派のお寺の筈ですが❕創建は平安時代の初期(806ー810)なので円仁は13歳から17歳ですね😣(数え年)✳石碑を見ると円仁が開山したお寺と「勘違い」しました😥 その時点では後々 真言宗に改宗したものと思いもしました。✳しかし良く考えると、広智に連れられて比叡山延暦寺に上り、最澄に師事したのが15歳です😚813 年に20歳で出家得度してますし、816年23 歳で東大寺で具足戒を受けた。この年、師最澄の東国巡遊に従い故郷下野を訪れたそうです😁 ✳これを考えると盛徳寺の創建には関わっていない事が明々白々となり大きな勘違いが露呈しました🙅 東国巡遊の折り師最澄とこの寺に立ち寄ったのが「ゆかりの寺」の石碑がある所以なのでしょう(私見)😌 石碑は博をつける宣伝になり、まぁ~宜しいかぁ~なんて解釈しちゃいます😁創建1200年程のようですから、まさしく平安仏教の法脈を紡ぐお寺ですから大したものですね🙆因みに時代は下るんだけど長久寺の末寺みたいですね👍令和三年十一二十六日ご拝読有り難う御座います合掌🙏
親切で丁寧な、対応してくれるお寺さんです。
法要費は、やや高めですが、しっかりした、仕事をしてくれます。
さきたま古墳の近くにあります。
さきたま古墳に来たら、こちらも寄ってみては?
品格あるお寺です。
真言宗智山派のお寺埼玉県内最古の寺院の一つと考えられている。
礎石から考えると、唐招提寺と同じ規模の伽藍だったとか…とても良い雰囲気のお寺でした。
住職さんがとてもかんじが良かったらデース🙆
真言宗智山派寺院の盛徳寺は、埼玉山若王院と号します。
盛徳寺は、平安時代前期の大同年間(806-810)に創建したと伝えられる埼玉県屈指の古刹寺院です。
本尊は薬師如来です。
県内で最古の寺といわれ、この周辺には埼玉古墳群があり、この地方の中心地であったと思われます古代蓮の里の南西に位置しており、古墳群の見学に向かう途中に位置しており、一緒に見学はいかがでしょうか?
位牌の供養で、行きましたが住職もお元気で何よりでした。
レンタサイクルで訪れました。
かなり古いお寺(九世紀)で当時の礎石が残っています。
歴史が感じられます。
読み方は「じょうとくじ」。
真言宗智山派。
号は埼玉山若王院。
大同年間(806-810)の創建と伝わる埼玉県屈指の古刹寺院。
しばしば兵火にあい、天文年間(1532-1555)に再々建。
境内には、大同年間の創建を裏付ける多数の礎石が残ってたり、行田市指定文化財。
2019/02/24 初訪問Geocachingというゲームで訪問しました。
真言宗志山学園(原文)真言宗智山派。
梅の花が綺麗で、香りが良い。
御朱印無し。
7月の終り、埼玉古墳群を自転車で乗り回した。
少しでも当時の雰囲気を感じようと心掛けた。
今は平坦だが、当時は低台地だったという。
さらにその周辺を行く。
古代蓮の里にも寄ったが、今年も見事に咲いている。
そしてさらに自転車を乗り回していると、途中で盛徳寺に通りかかる。
このお寺に寄るのは初めてである。
山門の前に石碑が建てられ、「天台宗総本山延暦寺第二代座主円澄生誕の地」と刻まれている。
山門(仁王門)に掲げられている扁額には「埼玉山」と書かれている。
真言宗智山派のお寺である。
山門を通り境内に入ると、きれいに整備され右に境内の説明板が立っている。
そこには、下記が記されている。
「盛徳寺は、埼玉山若王院盛徳寺と称し、本尊は薬師如来である。
縁起によれば、大同年間(806~810)の創建と伝えられ、保元ニ年(1157)に小松内府の心願により再建された。
その後しばしば兵火にあい、天文年間(1532~1555)に再建されたものが最近まで遺されていたが、老朽化したので現在の本堂を建立したものである。
境内には、円形の造り出しをもった奈良時代特有の礎石が数個現存しているが、当時の現位置とは異なっている。
また、寺内には古瓦が多数残されているが、奈良時代末から平安時代初期頃のものはわずかで、ほとんどが平安時代中期から末期のものである。
これまでの調査では礎石・瓦などから寺の縁起にいう大同年間創建を裏付けるものといわれている。
本寺は埼玉県内発祥寺院で、万葉集で詠まれた小埼沼や埼玉古墳群があり、往時、この地方の中心地であったことを思わせるものがある。
」 万葉集が詠まれた時代には、ほんのこの近くに小埼沼という沼があり、海がそばまで入り込んでいた。
名前 |
盛徳寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
048-559-4714 |
住所 |
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評価 |
3.5 |
この地域の歴史深さを伺える古刹です🤔🪷