樹木葬があらたに始まりました。
真言宗豊山派 糠田山 毗廬遮那院 放光寺 / / / .
清潔感いっぱい。
樹木葬があらたに始まりました。
本堂から控え室に直結しているから靴を履き替えなくて便利です。
名前 |
真言宗豊山派 糠田山 毗廬遮那院 放光寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
安達盛長と源頼朝平治の乱で平清盛に負けた源義朝は東国へ逃れようとするが、頼朝は逸(はぐ)れて捕まってしまう。清盛の継母池禅尼の命乞いで伊豆蛭ヶ小島に流罪となった頼朝。安達盛長はそんな頼朝の流人時代からの側近だ。鎌倉殿の13人で相模川に架けた橋供養で渡り初めをした頼朝だが帰り道に落馬してしまう。
その時の馬引きが安達藤九郎盛長だ。
頼朝は其れが原因で翌年1月13日に亡くなってしまう。
盛長は頼朝の死後、出家して蓮西と名のる。
當山、放光寺には安達藤九郎盛長の墓と出家後の蓮西像が安置されている。
放光寺は安達藤九郎盛長の館跡の一画に建てたのが始まりと伝わる。
頼朝の側近、安達藤九郎盛長を知りお寺を訪ねた。
✳本尊は大日如来(金剛界は智拳印)毘盧遮那如来とも謂います。
気付きは、お寺の院号ですが、真言宗豊山派糠田山毗廬遮那院放光寺と謂います。
✳毘盧遮那如来と毗廬遮那院を見比べて欲しいのです‼ビルシャナの文字が良く見ると違いますね。
大発見です。
令和5年5月6日。