伊勢大神の霊夢通りに勝利を得ました。
福富町御厨神社(ふくとみちょうみくりやじんじゃ)御祭神 天照皇大神 豊受皇大神境内社 豊受神社由緒康平五年(1062)安倍一族追討の途次、足利基綱宅に一泊した源義家は、伊勢大神の霊夢通りに勝利を得ました。
翌年康平六年(1063)凱旋の途中、義家は基綱宅で伊勢神宮の神恩に報いるため、社殿造営を決意し、社地選定を基綱に依頼。
現在地を適地とあいて勅許を得、伊勢より岩井田一紀を招聘し、奉幣代官として神社を創建しました。
このとき奉幣代官として伊勢より招聘した岩井田一紀は、江戸後期に社掌として記録された岩井田氏の祖ということになります。
「古は國々に御厨とて神領多かりしこと神風鈔また神領目録なとを見て知へし即この處はしも同書ともに下野國に二宮梁田御厨とありて絹布綿なと献れる御側にそ有ける故是を以て當昔より此領社を勸請して神明宮と稱し今に梁田十八箇村の總鎭守と稱し奉り此村を神明村と云ふこ〻に村長なる岩井田甚五右衛門福救は古の道に志深く其由を石文に記して建年と余に其事しるしこと請ふま〻ににかく」建久八年(1197)源頼朝は社殿を再造営し、神田を寄進。
社名は古くは神明宮、また田中村に鎮座することから田中神社とも称し、梁田十八郷の総鎮守でした。
明治八年(1875)、御厨神社と改称。
翌九年(1876)郷社となっています。
明治四十年(1907)に無格社八坂神社を、大正一四年(1925)に無格社八幡宮・雷電神社を合祀しました。
元の社殿は内宮(郷社御厨神社)と外宮(村社御厨神社)に分かれていましたが、昭和五年(1930)渡良瀬川の河川改修で、内宮を外宮に合祀。
昭和八年(1933)、現在の社殿に改築しました。
翌昭和九年(1934)社務所を建築。
昭和十三年(1938)神饌所を造営。
平成十年(1998)から十四年(2002)に、屋根の葺き替えと本殿の基礎改修を実施しました。
(「栃木県神社誌」参照)神社名の「御厨」は、梁田十八郷が、ここで生産された絹布・綿等を伊勢神宮へ献じたこと、伊勢神宮の厨(くりや・台所のこと)の役目を担った、御厨(おんくりや)に由来します。
御厨神社に伝わる、「御筒粥」と「御田植」の神事は、足利市指定の民族文化財です。
社殿は、伊勢神宮に倣い、天照皇大神を祭る「内宮」と、豊受大神を祭る「外宮」があります。
(サイト「栃木県神社庁」参照)
立派なとこです。
神主さんが、常駐しても良いくらい。
名前 |
御厨神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0284-22-4472 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
散歩してたらパトカー停まってた。
なんだろう。