児玉党の牧西氏が武運長久の鎌倉の鶴岡八幡宮に奉遷し...
旧村社。
御祭神:誉田別尊(ほむたわけのみこと)、神功皇后(じんぐうこうごう)、中比売神(なかひめのかみ)。
創建:鎌倉時代・建久年間。
資料によると、当社は、建久年間(1195年)に児玉党の一族・牧西四郎広末が武運長久の守護神・相州鎌倉の鶴岡八幡宮を奉遷して当所に祭ったものである。
こえて文明三年(1471年)五十子合戦のとき兵火にかかって焼失。
その後は廃社になっていたが、慶長十七年(1612年)ごろ信州佐久郡依田荘の住人・依田五郎左衛門が当地に来て在住したが八幡大神社を再興ふかく信仰した。
依田氏は後に姓を宮崎と改め、当社の神主として代々奉仕した。
とあります。
創建は建久年間(1190-98年)となっています。
再興については、江戸時代に信州から移住の神職さんとなっています。
神饌幣帛料供進神社の指定も受けていたとあります。
金鑚神楽・宮崎組の伝承が本庄市の指定文化財になっています。
道を隔てた北側は真言宗豊山派・寶珠寺の参道になっていました。
神楽は一見の価値ありです😁
旧村社格。
児玉党牧西氏由来。
名前 |
八幡大神社(牧西) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
1195年、児玉党の牧西氏が武運長久の鎌倉の鶴岡八幡宮に奉遷してこの神社に祀ったとか。
路を挟んで北側にお寺、神仏習合の名残りでしょうね。
石の鳥居と参道は平成29年奉納されたものなので奇麗です。