(埼玉県指定史跡)時代区分:奈良時代。
昔も為政者は税を取ろうとして管理した土地が条理で、あちこちに遺跡として残こっているひとつです。
昔も米がとれそうな場所です。
(埼玉県指定史跡)時代区分:奈良時代。
資料によれば、大化の改新(645年)の制により実施された班田収受法の遺跡です。
地名ともなっている十条の名は、南より第十条にあたるところで、現在その碑が残っています。
条里は、古代に行われた地割制度のことで、広い土地を6町(654m)ごとに線を引いて、碁盤の目のように区画しました。
東西の線を「条」、南北の線を「里」と名付け、それぞれ区画された土地は、「何条」・「何里」で示しました。
とありました。
この辺りには他にも、古墳時代中期から奈良時代にかかる古墳群も多々発掘されていて、往古からの歴史を感じられる地域です。
廃(原文)条里遺跡。
周囲一帯の四角四面な区画は近現代のほ場整備によるもので、古代の条里制によるものではない、という説明文が正直で驚く。
名前 |
十条条里遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
2.6 |
道路傍に「史跡 十条条理遺跡」という石碑と案内板が建っています。
この辺りには、大化の改新に伴う班田収授法に則った区画整理の跡があるとか。
当時、東国は僻地の僻地だと思われたはずですが、税の為ならこんな所にも、、、