名前 |
甘粕神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.3 |
旧村社。
御祭神:大雷神(おおいかづち)、少彦名命(すくなひこな)。
創建:年代不詳(鎌倉時代以前)。
ここ美里町大字甘粕にある当社は、創建年代は不詳ですが、征夷大将軍坂上田村麻呂がこの地に至った時、激しい雷に遭遇し、これを鎮めるために雷電三社(東大澤神社・中里雷電神社・甘粕神社)を祀ったことに始まると伝えられています。
明治初年の神仏分離令により村社に列格、明治41年に、近辺の諸社を遷座、合祀して社名を雷電社から甘粕神社と改称したそうです。
当地は、東西を丘陵に挟まれた低地で、中央部を天神川が北流している田園地帯で、古くは武蔵七党猪俣党の支族、甘糟氏の本貫地とされ、猪俣党系図によると猪俣忠基の子、家基が甘糟七郎と称したのがその始まりだそうです。
地内には「堀の内」と呼ばれる甘糟氏館跡があり、その水堀の一部が残存しているそうです。
当社は、甘粕地区の西南端に位置する雷電山を背にして鎮座していて、創建年代は不詳とありますが、軍神として信仰の誉れ高い、征夷大将軍坂上田村麻呂伝承から想定すれば、猪俣党甘糟氏の草創期の創建として、平安時代から鎌倉時代を想定してみたいところです。
甘糟氏の所領であった甘粕地区と語ってくると、どうしてもお酒の匂いがしてきますが、当社から天神川をちょっと上った天神橋の袂(旧鎌倉街道上道と国道254号線が交差)に古くからの「横関酒造」があります。
(明治十三年創業、埼玉県でいちばん小さな地酒酒蔵ですとあります。
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