戦後、氏子さん達の希望で旧地のここで再興されたそう...
歴史はあります。
延喜式内社。
一度は他に吸収され無社格になったが、また、元の場所にまつられる歴史をもつ。
御朱印もあります。
神川町の阿保神社の宮司宅で頂けます。
¥500
他神社に合祀された歴史がありますが、戦後、氏子さん達の希望で旧地のここで再興されたそうです。
狭い参道は路地裏のよう鳥居をくぐると以外にも境内は広い拝殿は比較的近年改築されたか古さはさほど感じない境内も社もよく手入れされている国道を挟んだ北側にも同名の神社がある。
旧村社→長幡部神社に合祀され無社格→昭和22年分祀再興。
簡素な造り。
名前 |
皇太神宮 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
2.7 |
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上郷皇大神社(かみごうこうだいじんじゃ)御祭神 大日孁貴命(天照大御神)境内社 八幡神社 菅原神社 琴平神社上里町大字長浜字永長(長浜上郷)にある皇大神社です。
由緒長浜上郷の地は、江戸時代には上長浜村ともよばれ、隣接した四軒在家村から分村して成立しました。
分村の時期は定かではないですが、元禄郷帳(1688~1704)に記載があることから、それ以前に分村していたと考えられます。
神社の勧請年代は不詳ですが、江戶幕府によって編纂された「新編武蔵風土記稿」長浜上郷村の項に「太神宮 村の鎮守とす 上松寺持」と載っており、かつては「太神宮」と称し、四軒在家(神川町)の上松寺が別当を務めていたことが判ります。
明治初年の神仏分離により、江戶時代に別当であった真言宗上江山上松寺から離れました。
明治初頭には「天照大神社」と呼ばれていました。
明治二年(1869)、長浜村・長浜上郷村・長浜下郷村・六所村の四ヶ村が合併して新たに長浜村が成立しました。
明治はじめの「神社明細帳」には、「村社皇大神社 祭神大日孁貴命 創立年月不詳と云えども社格は明治五年中旧入間県へ申立済」と載っています。
明治二十二年(1889)合併により長幡村が誕生し、下郷の長幡部神社が村社となったため、天照大神社は無格社とされ、境内には村社遥拝所が置かれました。
明治四十一年(1908)十一月十二日に長幡部神社へ移転され、境内社として祀られました。
社地や社殿などの建造物はそのまま残され、昭和二十二年(1947)氏子の希望により再び当地に遷座しました。
本殿は一間社流造りで、切妻造り・妻入りの千木・鰹木を備える覆屋の内に納められています。
「明治の初め覆屋をふさいだら病が流行したので、再び覆屋を開いたら村が安全になり、その後は流行病や火災は起こっていない」という言い伝えが残っているため、本殿は明治以前の建築と思われます。
覆屋は老朽化が進んだため、昭和三十年代(1955~)に茅葺きからトタン葺きに改修され、平成二十年(2008)に改築されました。
(境内案内板より)