戦国のアルピニスト佐々成政が『さらさら越え』の前に...
泥鰌池に向かう途中、激しく損傷した「熊に注意」の立札が。
ガイドさんいわく、立て代えると決まって、数日後に熊がボコボコにするとか。
思わず周囲に目が行きます。
そんな道を引き返して、立山温泉の跡地に立ち寄りました。
水谷平に移転する前は、ここが砂防の拠点だったそうです。
昔はずいぶんと賑わったようですが、次第にさびれて1973年に閉鎖。
男湯と女湯の浴槽が残っています。
ちょっと狭い気がしますが、疲れ切った登山者には、癒しのオアシスだったのでしょう。
(2016.9)
立山カルデラ砂防博物館の体験学習会で訪れました。
立山温泉は、天正年間の1580年頃に発見され、1973年に廃湯となった温泉です。
江戸期には立山信仰で訪れた人々で、明治以降は立山カルデラの砂防事業関係者で賑わったとのことです。
建物は廃湯後に焼却処分されているので残っていませんが、説明板には最盛期の頃の施設のイラストがあり、たくさんの棟があったことがわかりました。
また、浴場の基礎と浴槽が遺構として残っており、浴槽周りの床タイルも鮮やかな色で残っていました。
なお、立山カルデラ内は一般人立ち入り禁止となっており、前述の体験学習会でしか訪れることができません。
昔は登山の玄関口だったそうでした。
戦国のアルピニスト佐々成政が『さらさら越え』の前に立ち寄ったという伝説がある立山温泉の跡地です。
以前は登山道沿いにあったということもあり、明治から昭和初期までかなり賑わっていたそうですが、登山道廃道等の理由で1973年に廃湯。
跡地のタイルはその同時のまま残ってます。
立山砂防発祥の地でもあり、近くには『立山砂防 ここより発す』の石碑もたってます。
映画に出てきた場所だけに特別な思いが溢れます。
一般に行けないとなると尚更感激します。
ただただ良かったの一言。
名前 |
立山温泉跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
18年前に初めて行き、再び見に行った。
思い出補正もあると思われても仕方ないが、大分汚れがあったり、コンクリートなどが脆くなっており、あまり手入れはされていない。
跡地なためにほぼ予算が回されていないのだろう、当時のわずかに残った施設はいずれ自然に飲まれるだろう、早めに見に行ったほうがいい。
昭和のタイルがみられる。