高台で荒川や寄居町が見渡せます。
荒川と深沢川の天然の要害を、さらに土塁で強固にしていることがよくわかりました。
帰りに正喜橋の中程から本曲輪方面を見たら川沿いは断崖絶壁、深沢川も渓谷のような深い崖となっていた。
2方向を荒川と丹沢川を天然の要害にしていて守りが硬そうでした当時の堀と土塁がが結構残っていました。
城一帯で一番高いと思われ堀とか土塁もそれなりにきっちり残っている。
かつ、裏が荒川で断崖!これが関東屈指の城の本丸跡と思うと感慨深い!
エドヒガンザクラに「氏邦桜」と名前が付けられて、一躍人気スポットに変貌。
駐車場も2ヵ所あります。
北条氏邦の城跡で建物等は無いが良く整備されていて氏邦桜が満開を迎え最高でしたカタクリの花も咲いてました。
鉢形城の本曲輪の跡です。
整備された二の曲輪、三の曲輪に比べて整備されておらず、鬱蒼とした森の中にあります。
本曲輪の背後は荒川河畔の断崖で攻めにくい要害だったことがわかります。
高台で荒川や寄居町が見渡せます。
本丸です。
一番高い場所になってます。
ここは整備されておらず鬱蒼としてます。
鉢形城に、大福御前(だいふくごぜん)と言う、戦国の世の人物がいました。
興味を惹いたので。
だって、大福ですから。
資料によると、(不詳-1593年)織豊時代,北条氏邦(うじくに)の妻。
武蔵国天神山城(長瀞町)城主藤田康邦の娘で、藤田家存続のため、後北条家・北条氏康四男の氏邦と結婚する(入婿ですが、藤田家の家督も領地も引継ぎます)。
夫・氏邦が城主の鉢形城が、1590年豊臣秀吉の小田原攻めで落城した際、御前は脱出。
夫が加賀金沢へあずけられたため仏門にはいったが、前途を悲観し1593年5月10日自殺。
とあります。
美貌のほどは分かりませんが、アニメキャラになっているようです。
日本100名城、荒川を天然の要害として築城された城、寄居駅から歩いて15分、本丸、二の丸、三の丸と公園整備が進んでいる。
本丸がもっとも復元がおくれて原状をとどめている。
二の丸との間に道路ができ、城郭を削ってしまったのが残念、三の丸周辺は無料駐車場があり広々として気持ちの良い公園である。
2019/02/24 訪問。
本丸跡地で何かしら期待をしていましたがただの荒地でした。
北側に荒川、南側に深沢川に挟まれた、天然の要害が鉢形城で、歴史館から歩いて来ると、道路に出たところで左側が、二の曲輪、三の曲輪、正面の小高い土塁の上が本曲輪、伝御殿曲輪になる。
ここに北条家の屋敷があったそうで、城の一番重要な部分になっている。
鉢形城は西から三の曲輪、二の曲輪、本曲輪と連なる連郭式の城のようで、三の曲輪の方が高いのでどうも錯覚するのだが、土塁の高さで本曲輪であることを納得する。
やはり歴史館で堀、土塁などの遺構、縄張りの知識を得てから散策すると理解し易い。
しっかり遺構が残ってます。
荒川を背にして断崖絶壁、戦に重点を置いた城だったのだと実感できます。
名前 |
鉢形城 本丸跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.0 |
ここに昔、城が築かれていたのかと思うと、感慨深い気持ちになります。
非常に広々としてます。