二階には行けないので家の一階と外観を見る程度なので...
渋沢栄一記念館へ向かう途中で、看板があったので立ち寄りました。
駐車場が道路向いに4台位停められます(無料)ボランティアのスタッフの方が数名おられ説明もしてくれます。
建物自体は、そのまま保存されているような様子で展示物などは特にありませんが、その時代の様子が良く分かります。
渋沢栄一の従兄弟、尾高惇忠の生家で、栄一が論語を学んだ場所。
部屋には上がれず見どころは少ないが、尊皇攘夷から慶喜に仕える転換点だったかもしれない場所と思うと感慨深い。
渋沢栄一生誕の家「中ん家」より3kmと近い所にあります。
栄一は毎日歩きで通い、この建物の2階の一室で従兄の尾高淳忠に学問と裏庭の広場で武術を習っていたそうです。
(解説の方が仰っておりました)裏庭と母屋の間には当時のままの井戸もありました。
ここで鍛錬の後な汗を流したのかな。
中ん家は明治の中頃に家事で消失して現在のはそれ以降に再建されたもの。
しかしここは築300年(だったかな?)で当時のまま残っております。
1階の窓はアルミサッシになっておりましたが2階はほとんどそのままで老朽化の為、見学者を通したら床が抜け落ちかねないとの事で座敷等には上がれません。
ある意味本当の意味で歴史を体感出来る所です。
一部しか公開されていなかったので見応えはありませんでしたが、建物の外観、煉瓦造土蔵や庭などは雰囲気が良かったです。
係の人も感じが良かったです。
渋沢栄一記念館の近くにあり、気になり立ち寄りました。
深谷市指定文化財に登録されたのが平成22年とのことで、建物内は生活感が残っていていますが、約200年前の商家建物なので貴重でした。
非公開部分も多いのですが、内庭にあるイギリス式煉瓦造土蔵も歴史を感じました。
駐車場も見学も無料ですし、時間も要さないので、周辺観光の際にはおすすめします。
二階には行けないので家の一階と外観を見る程度なので見学は10分程度で終わります。
無料なのはありがたいです。
道路を挟んだ駐車場横には旧尾高長屋跡地があります。
大河ドラマで田辺誠一が演じていた尾高惇忠生家です。
ドラマで知ったぐらいの知識しかありませんでした。
内部公開されていましたが、土間部分を通り抜ける程度で、建物室内や庭などは遠目に見える程度。
掲示もあまりなく、ふーん。
と思う程度でした(すみません)。
駐車場と入場無料はありがたいですね。
蔓延防止の対策で、ご案内して頂けなく2階にも行けなくて物足りない感じでしたが、雰囲気は味わえてちょっとタイムスリップした感じがしました。
駐車場は10台くらい止められますが、あっという間に見学終わってしまうので、満車になる事は無さそうです。
【入場料・駐車場】入場料:無料駐車場:専用あり(無料)【来所所感】江戸末期のままので現存する唯一の渋沢栄一に関係する建物2階は有名な横浜焼き討ちを計画し会議を実際に行った場所だそうですただし、2階を見ることはできません5分以内で見終わるほど、見どころが少ない場所ですただし、貴重な場所なので行く価値はあると思います運営されているのは、尾高のご子孫の方々だそうです中ん家から車で5分ちょっと走れば到着する場所にあります。
NHK大河ドラマ「青天を衝け」を見て、やって来ました。
コロナ禍の中、うら庭でボランティアさんの説明を聞きました、初めて聞く韮塚直次郎と云う人物も渋沢栄一に大きな影響を与えたようだ。
係員のおじさんが、関係あることもないこともいろいろととても丁寧に説明をしてくれます一部レンガつくりになっていて、幕末明治の激動の歴史の一端を感じられる。
尾高惇忠は、渋沢栄一のいとこにあたり、妻お千代のお兄さんになります。
渋沢栄一の青少年時代に強い影響を与えた人物で、富岡製糸場の初代場長というスゴい人です。
そんな人の生家だと思うと、ちょっとジーンとします。
裏にあるレンガ造りの蔵のような建物は、日本煉瓦製造と関連してるのでしょうか。
積み方がイギリス積みでした。
富岡製糸場初代場長であり、渋沢栄一の従兄で学問の師でもあった尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)の生家。
コロナ禍の為、外観のみ見学可能です。
江戸時代後期の建築で、当時は「油屋」の屋号で呼ばれ、この地方の商家建物の趣を残す。
主屋裏には煉瓦倉庫も残ってます。
2021/6/29惇忠は論語や水戸学を通じて渋沢栄一に多大なる影響を与えた人物で彼なしにして栄一なしと言われるほどです。
また、冨岡製糸場初代場長、現在は落ちぶれてしまいましたが現みずほ銀行支店長など明治の日本の骨格を栄一と共に築いて来た方です。
栄一の妻のお千代さんは彼の妹でありここは彼女の生家でもあります。
建屋は築200年以上、二階建てで中に入るとその柱の太さに驚かされます。
渋沢栄一の生家は一度焼失してますが再築の際こちらを参考にしたと言われております。
大河ドラマで密議のシーンが出てきましたが、その部屋(二階)は写真でのみ伺い知ることができます。
まさに歴史ロマンやここに生きてきた尾高家の葛藤を肌で感じる事が出来る場所です。
尾高家の末裔の方は約40年前までこちらに住まわれていたようです。
建屋一階内部は見学可能です。
駐車場あり。
全て無料です。
トイレは建屋裏手に設置頂いてます。
「青天を衝け」放送中の5月初め、渋沢栄一の家と惇忠さんの家を訪れました。
家と家の間は、歩いて6~7分位でした。
父親と母親が姉弟である事もあり、子供の頃からお互いに毎日のように往き来したのでしょうね。
栄一にとって惇忠さんは、本当によき兄貴だったんだとおもいます。
尾高惇忠の生家で築200年庄屋様の家で菜種油を商いていたとかボランティアの人が説明していました。
渋沢栄一の人生を形成した場所です。
中も公開していました。
尾高惇忠生家のスタッフさんが歴史を教えて下さり大変勉強になりました。
大河ドラマ『青天を衝け』、渋沢栄一の師とされる尾高惇忠(田辺誠一)の生家。
渋沢栄一生誕地(中の家)とは少し離れてます。
徒歩で10〜15分くらい。
説明してくれる人が分かり易くて良いですよ!😄
深谷駅からはかなり距離がありますが、お家の前に循環バスのバス停がありますし、広い駐車場もありました。
深谷駅の観光協会の方に循環バスも左回りなので、地図上1番右奥にある【尾高惇忠生家】から巡ることをオススメされたので、こちらの前でバスを降り、こちらから【渋沢栄一記念館】【中の家】と徒歩で巡りました。
歩くのが苦手な方は…どうでしょうか…の距離ですが。
渋沢栄一さんの従兄弟の惇忠(じゅんちゅう)さんと栄一さんの奥さんになった千代さんのご実家です惇忠さんは栄一さんの学問の師でもあり、よくこのお宅で学ばれていました。
惇忠さんは明治維新後、富岡製糸場の初代場長を務められたそうです。
ちなみに惇忠さんの娘さん勇さんは、富岡製糸場の初の女工さんのようです。
こちらは江戸時代後期に惇忠さんの曽祖父が建てたといわれているそうです。
よく大河ドラマのシーンで話し合いや勉強をされていた2階には上がることは出来ませんし、1階をサラ〜っと見学が出来るだけですが、想像するとワクワクしましたよちなみにこちらの入館料は無料です栄一さんは自宅から尾高惇忠宅を2000歩でいける距離と言っていたそうです。
ドラマを思い出しながら今は舗装された道路を私も歩いてみました。
今は、外観を見るだけですが、予約すれば中を見る事が出来るようです。
パンフレットは頂けます。
コロナの影響で中に入れなかったしっかりと見学したい。
良く管理整備されている。
渋沢栄一氏、縁の地、人の説明を地元の方が説明してくれる どうして富岡製糸場ができたのか等々興味深い話も聞けて楽しかった。
渋沢栄一の生涯は惇忠さん〔ちよ〕さんがいたからこそ大成したと思います。
富岡製糸場の初代場長を務めるとは、密議のビデオ見ました…迫力満点💯 思わぬ人物像に感銘を受けました!💯💮♬
渋沢栄一の従兄弟で生涯の師と栄一が仰ぎ当時の生活が垣間見られます。
歴史を学ぶにはいい所です。
一度 行って見てほしいです。
渋沢栄一の人生に大きな影響を与えた尾高惇忠。
訪ねて初めて知ることも沢山ありました。
ボランティアガイドの方も親切丁寧に教えた頂けて助かりました。
江戸時代から残る建物です。
ガイドさん慣れていらして、わかりやすいです。
裏には、当時の煉瓦造りの蔵があり、へっついもありました。
藍玉も持てます。
スタンプラリーのため、ところどころに案内をして下さる方もいました。
ただ、イベント以外の日だと、案内はどうでしょうか。
良いと思います。
名前 |
尾高惇忠生家 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
048-587-1100 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
関連サイト |
http://www.city.fukaya.saitama.jp/shibusawa_eiichi/bunkaisan/1425344439348.html |
評価 |
3.8 |
建物床上には上がれず、土間を通過するのみ。
シルバーセンター派遣さんの憩いの場になっている様子。
正直、見学する価値は皆無でした。