平日は、誰も居ませんでした。
20230602こっち方面に来たので、久しぶりに寄る。
屋上に展望台があると気付いたが、雨で上れなかった。
引き出しての説明が面白かった。
受戒など、真言宗の学問所としての時代もあったんだ。
歴文カードの第1弾は、またも品切れとのこと。
再発行は未定。
受付に合併前の町誌が置いてあったが、グリムの森マンホールカードの石橋町の町誌もあった。
あと、駐車場は西側であり、道幅も西側が広いので、行くときはそちらから行くこと。
東側は幼稚園の駐車場?20201209戒壇が気になって訪問。
延暦寺で戒壇が行われるようになって廃れたですか。
なるほど、国が、特定の宗派を贔屓にすると、既存の片寄らない方針が続けられないんですね。
国分寺もなくなる訳だ。
しもつけ歴文カードを配布している施設だということは知っていますが、未訪問。
まぁ、栃木県は古墳カードも発行しているけど、あまり興味がないので。
毛の国ってけっこう栄えていたんですね。
鬼怒川も元は毛の川?なにか奥羽に対する防人でもいたような感じ。
みなさんのクチコミで少し興味が湧いてきました。
2023年3月平日行きました。
場所は新四号国道薬師寺交差点から入ってすぐです。
ここのいいところは入館料無料で歴史が学べること。
なぜ薬師寺が7世紀末頃に薬師寺が創建されたか?まだ奈良に都が作られる前の出来事にどのような規模だったのか古代の人々の生活が想像できます。
館内にはクイズコーナーや古代人の衣装の展示等飽きない工夫が感じられます。
館内見終わったたらエレベーターで屋上に上がることオススメ⁉️お隣の下野薬師寺跡や復元回廊が一望できます。
薬師寺跡には梅の木が植えられていて二月が一番オススメです。
歴文カード、町歴カード、古墳カードをもらいに行きました。
見学も無料で、歴史を堪能できます。
狭いながらも下野薬師寺の栄枯盛衰を知ることができる。
発掘された瓦などを展示している。
無料。
4月30日、スマホでは開館になっているが、現地に来(10時30 分)てみると、休館に。
どうしたのかな?何も説明がなくて。
無駄足だったようです。
かつて間違いなくあったんですよ、壮麗さを極めたとてつもなく美しくて巨大な寺院がここに。
ここは東日本の宗教の中心地だったのであり「失われた文明への旅」を手助けしてくれる施設です。
地方にありながら中央政界への繋がりも深く、女性天皇である称徳天皇の愛人であった弓削道鏡の配流先としても有名ですね。
ここは全国で3箇所しかなかった天下三戒壇(他は東大寺と九州の筑紫観世音寺)の一つというから、その格の高さが分かるでしょう。
戒壇とは政府公認の正式な僧になるための戒律を授ける土壇施設のことで、管轄上東日本の僧は皆ここに来たここに来たことになります。
「僧」になると税金や労役が免除されるため、貧しい人々はこぞって僧になってしまったので(コレを私度僧と言います)、免税特典のある「正式」な僧を区別する必要から設置されたものです。
歴史館では目玉である戒壇の構造や大きさ、儀式の進め方や人数等が詳しく説明されているのは流石です。
資格学校のようなもので檀家もなく、宗教本来の目的である「精神の救済」の面がおざなりになっていたのでしょうか。
律令国家の衰えと共に、コレほどの施設が一空無に帰してしまったことは驚きで、現地で1200年前と変わらない青空を見上げながら、悠久の時の流れを感じ何か切ない気分になりました。
下野薬師寺の文献史料復元模型等を展示し映像等によって下野薬師寺の歴史を分かりやすく解説してる。
薬師寺近くの風景の良い場所にあります。
規模は小さいが整然とした展示で好感もてます。
薬師寺に来たら必ず訪れたい場所です。
下野薬師寺の創建については、下毛野氏の氏寺として建立されやがて官寺へ発展したとする説と、当初から天皇の勅願寺(官寺) として建立されたとする説に別れる。
現在では発掘調査の成果から氏寺説が主流であるが、そもそも天武天皇の勅願寺と述べる『続日本後紀』や『嘉祥元年太政官符』を否定できるだけの論拠はない。
そもそも、地方豪族の氏寺が官寺に発展したことを示す史料は何もない。
東の飛鳥と呼ばれ、法隆寺や東大寺と並ぶ、東国唯一の中核寺院。
VRアプリが整備され、現地ではCG復元された五重の塔や廻廊がスマホやタブレットで見られる。
タブレットは隣接するガイダンス施設の歴史館でレンタル可能。
廻廊の一部が立体復元されている。
かつて間違いなくあったんですよ、壮麗さを極めたとてつもなく美しくて巨大な寺院がここに。
その「失われた文明への旅」を手助けしてくれる施設です。
ここは全国で3箇所しかなかった天下三戒壇(他は東大寺と筑紫観世音寺)の一つというから、その格の高さが分かるでしょう。
戒壇とは政府公認の正式な僧になるための戒律を授ける土壇施設のことで、管轄上東日本の僧は皆ここに来たここに来たことになります。
歴史館で目玉である戒壇の構造や大きさ、儀式の進め方や人数等が詳しく説明されているのは流石です。
しかしそれほどのものが一空無に帰してしまったことは驚きで、現地で1200年前と変わらない青空を見上げながら、悠久の時の流れを感じ何か切ない気分になりました。
日本三戒壇の一つとして有名です。
一度、来てみたかったのですが、思ったよりも資料も少なく遺構も中途半端感が大きいです。
他の戒壇の東大寺や筑紫観世音寺などと比べると非常に残念な感じです。
そもそも戒壇としての役割が終わってからの衰退からか、後北条氏などによる多賀谷氏との戦に巻き込まれたりして、その後もあまり寄進等が進まず、復興されず来てしまったようです。
ただ、建立当時の意味合いからすると、蝦夷からの東国の抑えの地としての役割としてこの辺りに様々な役庁が建てられています。
いかに当時はこの地が隆盛して朝廷から重要視されていたかが、偲ぶことができます。
是非、ここもそうですが、下野国庁跡や国分寺なども巡ってみるのをおススメします。
国分寺のそばに、伝・紫式部の墓があります。
ホントかどうかはわかりませんが、あくまで「伝」です。
開館時間を1時間も過ぎても「本日休館」と看板を出していていました。
電話で本日は営業日ではないかと尋ねると、看板を間違えたとのこと。
開館時間を大幅に過ぎているにも関わらず、中では大きな音で掃除機をかけていました。
施設や展示物は立派でも、職員にやる気を感じません。
官僧を公認する戒壇が置かれた寺院跡です。
詳しく説明を聞くことができるので、大変助かりました。
延暦寺に戒壇が置かれる以前には、奈良の東大寺と筑紫観音寺とここの三ヶ所しかなかったわけですから、大変、重要な寺院であったこたが分かります。
展望台に上がると、敷地の全体像が推測できます。
日本三戒壇のうちの一つがあった、古代日本において極めて重要な場所。
怪僧道鏡が流された場所としても有名。
発掘作業が続いており、さらなる発見が期待されます。
平日は、誰も居ませんでした。
下野市にあるたくさんの中の文化財、日本にあった三つの中の一つの史跡、その歴史を一部再現、復元して公開,屋根の瓦などの文様なども、その建物の大きさを見学してください。
ほのぼのしています!
名前 |
下野薬師寺歴史館 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0285-47-3121 |
住所 |
|
営業時間 |
[火水木金土日] 9:00~17:00 [月] 定休日 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
とにかく時間があるなら寄ってみて、!!!館長の温かさ、そして人柄の良さに感動するはずです。
展示品はそれぞれの価値観の問題と下野市は適当なところじゃなかったことがわかります。