これは徳川斉昭公が自ら設計したものと言われています...
好文亭は園内の高台に位置する。
入り口からは、京都の名だたる社寺にも劣らぬ造作や襖絵や部屋から作り込まれた庭を楽しむ事が出来る。
亭内にはカフェがあり、コーヒーや抹茶を嗜みながら、眼下に広がる景色を、眺める事が出来る。
和室と縁側の間、あるいは和室と外部の間は和紙を貼った明かり障子だけであり、閉館時には毎回雨戸を閉めている。
雨戸の出角コーナーは特殊な金本を用いて90度雨戸を回転させているのが面白い。
偕楽園の中にある建物、木造二層三階建、ここも徳川斉昭公が設計。
特に三階からの眺望は必見です。
ここはカフェがあり、甘味、抹茶等を頂きながらの眺望は最高。
千波湖、庭園、随所に見所あり。
此処から斉昭公や招待された色々な方の思いを馳ながら眺望。
一時の安らぎになると思います。
時の藩主徳川斉昭の『快なり〜!』の声が聞こえてきそうな特別な場所!手入れのよく行き届いた名園、偕楽園内にあるこちら〝好文亭〟さらに別料金かかりますが一見の価値あり!特にオススメは観光しに行く前に大河ドラマ青天を衝けを観てから行くと今で言う聖地巡礼のように観て回れますw烈公と呼ばれる深く広い見識と烈の字に相応しい激しさを持つ徳川斉昭の息遣いとドラマのワンシーンである『快なり〜』の声が聞こえてきそうです!そんな中でも滑車で膳をを運ぶ仕掛けがあったり庭園から眺める景色も最高だったりと随所に見所ありです。
好文亭内にあるカフェもオススメです!当時、好文亭で過ごした人達と同じ目線で一息つけるのですからwオーダーしたのは温かい甘酒。
わらび餅もついてきてお得ですw個人的には三名園の一つである兼六園よりも大満足の時間でした!
2月下旬の平日、梅まつりの時期に行きました。
好文亭(有料200円)は、木造二層3階建ての本体と平屋造りの奥御殿から成り立っています。
見学コースは奥御殿の展示室を観覧した後、本体の狭い階段を登り、3階の展望室に進みます。
3階からの展望は素晴らしく、東西梅林や見晴広場等一望できました。
建物内にカフェがありました。
入り口で靴をビニール袋に入れ、持ちながら見学することになるので、滑らないよう注意が必要です。
偕楽園の中にある好文亭に訪れしました。
徳川家のどなたかが創設して、戦争で焼失したものの焼失から10年後の1955年から3年かけて復元したものが現在の姿だそうです。
ゆったりとした時が流れる開放的な建物の印象。
順路の途中にカフェがある不思議な作りですが、そのやり口にハマったお客さんもチラホラ。
暑い日には特に冷たい飲み物飲みたくなりますわな。
2階からは近くの池の噴水や偕楽園が見渡せ、気持ちの良いビューが楽しめます。
偕楽園入場料とは別料金ですが、せっかく来たのですから、入ってみて損はないと思いますよ。
3階の楽寿楼からの眺望は勿論の事、日本初のエレベーター(配膳用)や茶室前の待合等見所満載ですが、やはり奥御殿の襖絵が一番でしょうか?まるで美術館に来たかのような気持ちになりました。
(^○^) 因みに階段が急なので、登り降りには注意して下さいね。
徳川斉昭が別邸として建てたもの総称して好文亭と呼ぶそうです。
1945年の空襲で全焼しましたが、戦後復元されました。
藩主夫人やお付きの婦人の詰所、警備の侍が控えた部屋など当時を想像しながら拝観できて興味深かったです。
3階の楽寿楼からの眺めが素晴らしく爽快でした。
烈公もこの眺めを見て藩の方々と語らっていたと想うと歴史のロマンを感じます。
1階で作った料理を3階まで運搬する用の手動の昇降機(エレベーター)が見られたのもおもしろかったです。
階段がすごく急なのでお膳を運ぶのに画期的な作りです。
偕楽園の入場料とは別に入館料が200円かかりますが入る価値がありました。
カフェが閉まっている時間で利用できませんでしたが庭園を眺めながらのカフェタイムできたらとても贅沢だと思います。
2022.04.03徳川斉昭公が宴を催すために建てられた、木造二層三階建の建築物。
入場料は大人200円第二次大戦で焼失した後、昭和30年に復元。
建物(楽寿楼)から千波湖を望む景色はさすが。
また、配膳用昇降機(滑車と昇降機が移動する3階分の穴)が凄い。
日本初のエレベーターとも言われています。
『見学料』200円偕楽園の中にあり、好文亭から見える景色は絶景です。
徳川斉昭公が、文人墨客や家臣・領民を招き、養老や詩歌の宴を催していたのこと。
特に2階から見える景色は素晴らしいです。
偕楽園の庭園を上から見ることができるのはここだけなので、見学料を払っても見る価値大です。
2022年最初のお客でした笑偕楽園は梅の時期以外ここだけが有料のエリアになります。
個人的に好文亭とても好きです!冬の時期柄人も本当に少なくほぼ貸切で綺麗な建物と景色観覧出来ました!最高です👏手入れされている方々の努力の賜物だと感じました!説明もわかりやすい!
天保13年(1842)に徳川斉昭によって建築されたが、昭和20年の戦災で焼失し、現在の建物は昭和32年に復元されたもの。
しかし、再び昭和44年に落雷により、再び奥殿と太鼓廊下が焼失し、昭和47年に再度復元。
奥殿でと展望室・楽寿楼のある二層三階楼で構成されている。
とても素敵な邸宅です。
古民家好きにはたまりません。
丁寧に作られた建具や、襖絵も素晴らしかったです。
梅の季節ではなかったので、逆に人が少なく、手入れの行き届いた建物を堪能できました。
各所に創意工夫を感じさせる素晴らしい建築物でした!
イルミネーションで俗された庭園と打って変わって、古の文化を感じる事ができるこれぞ偕楽園といった空間です。
水戸偕楽園の中にある木造平屋建てのあずまや。
数寄屋造りの建物は、水戸東照宮にも祭られている徳川斉昭公により創建されたものですが、戦火による焼失のため、復元されたものです。
それでも内見はとても素晴らしく、見て損はしません。
徳川斉昭公は一橋慶喜公の実父であり、攘夷論者だったため、偕楽園は訓練のための広場だったようです。
梅の木も飢餓や戦の時の食用で植えられたものだそうです。
そんな斉昭公の生活の様子が好文亭で知ることができます。
特徴的なのは、荷物を運ぶのに1階と2階を昇降機を使っていた事です。
更には厠が二ヶ所あります。
どの部屋も特徴があり、襖なども見ごたえがあります。
観覧料安いです、古民家好きにはいいのではないでしょうか、建物内で景色を見ながらお茶できます。
水戸藩九代藩主徳川斉昭が詩歌・管弦の催しなどをして家中の人々とともに心身の休養をはかるために天保十三年(1842年)に建てられた。
訪問時(2020年12月現在)耐震補強工事が行われていました。
偕楽園の中にあり、観覧料大人200円、小人100円です。
入口で靴を脱いでビニール袋に入れて中に入ります。
中でお茶とお菓子が提供されていて景色を楽しみながらゆっくりと過ごすことができます。
3階の楽寿楼からは千波湖や梅林が見渡せます。
眺望はとても素晴らしくずっと見ていても飽きません。
また、桜や菊、紅葉、竹等の襖絵の色使いが鮮やかでした。
【追加料金を払う価値あり!】予めセット券の購入を勧めます。
大変美しい庭園。
建物は一度、第二次大戦の空襲によう火災で焼失しているため再建ですが、大変すてきです。
中ではお抹茶もいただけます。
初めての三代名園!見事な建築物で見応えありです。
2020年10月現在 建物の一部を修復中で完成後が楽しみです。
最上階からの眺めが圧巻です。
また室内からの庭も最高でした。
徳川の英知が感じられる。
オススメ。
偕楽園の中にある古い建物。
偕楽園の入場とは別料金。
セット券もあります。
靴を脱ぎ、袋に入れて入ります。
襖絵など、見所はたくさん。
建物の作りが小さいので、混雑しているときは、少々窮屈です。
上階に昇ることができ、そこからの見晴らしも良いのですが、階段はとても急です。
大きな荷物は持たないことことをおすすめします。
好文亭の中で抹茶とお菓子を頂きました。
美味しかったです。
偕楽園の中にあります。
別料金。
靴を袋に入れてぶら下げて見て回ります。
上に上がる階段が急でビビる。
襖の絵が綺麗。
3月の梅祭りの時期にいくと混んでます。
それ以外の時期はあまり人がいないイメージです。
梅が咲いている時期にいくと、思わず時間をわすれます。
祭の際は近くで梅酒を飲めるイベントも併せていくと楽しめます。
茶室からの外の眺め、3階からの千波湖の眺めと開放感があり素晴らしいです。
昔の和建築は 自然との調和が素晴らしいと改めて感じました。
偕楽園とセットで行くのは鉄板だと思いました。
ボランティアサポーターの方にこの建物の成り立ちも聴けて勉強になりました。
大変な維持費がかかると思われるこの場所をこの金額ではもったいないと思います。
魅力度ランキングは低いかもしれないけどもっと自信持っていい県なのでは。
どの角度から見ても絵になる、風情ある日本家屋。
偕楽園は入場無料ですが、好文亭は入場料が必要です。
三階から眺める千波湖は絶景なので見ておいて損はありません。
最上階の間「楽寿楼」から千波湖を見晴るかす眺めが素晴らしいです。
江戸時代の千波湖は今の4.8倍の大きさだったということなので、今よりももっと壮観だったと思われます。
時間が無い方は、最初に三階に上ってから他の部屋を廻る事をおすすめします。
他にも藩主斉昭の考案したエレベーターや茶室など見所は多いです。
【一張一弛】水戸には『一張一弛(いっちょういっし)』という言葉がありますが、弘道館は「気を張って学ぶ」場所、偕楽園は「気を緩めて寛ぐ」場所、というように、両者はセットで作られた施設なのだそうです。
好文亭は、藩士や領民がリラックスするための宴会場や茶屋として使われていました。
尚、民に開かれた庭園というイメージが強いですが、実際には開放日が定められており(3と8が付く日)、酒に悪酔いしてはならず、三味線や小唄も禁止(雅楽や詩歌はOK)…とのことなので、一般の領民には少し敷居が高かったかもしれません。
【ふすま絵】一階奥御殿の9つの部屋には、梅の間、菊の間、萩の間…等、花や樹木の名前が付けられており、襖絵には室名と同じ草花が描かれています。
この優美な襖絵は画風からも分かる通り戦後に描かれたものだそうです。
江戸時代創建当初の建造物は水戸空襲で焼失してしまい、どういうわけか襖絵については殆ど資料が残っていないのだとか。
創建当時(1842年)の襖絵を手がけたのは、萩谷遷喬、三好守真、岡田一琢という藩の絵師達であり、また、僅かに残っている写真では、襖は白張りで、床の間の小襖などに水墨画が描かれている程度だった…と伺いました。
もし全ての部屋が簡素な白張りであったなら、むしろ現在のほうが華やかで美しい空間となっているのではないかと思います。
(尚、萩谷遷喬(はぎのやせんきょう)は水戸の三画人に数えられる藩士で、弘道館の襖絵(袋戸の小さな襖絵など)も手がけており、こちらは現存しているので見ることができます。
)【貞芳院(ていほういん)の暮らした部屋】「梅」の間とその両隣の「竹」「清」の3部屋は、斉昭の正室であり最後の将軍慶喜の生母でもあった貞芳院(吉子夫人)が維新後に住んでいた部屋で、奥御殿で最も高貴な部屋とされているそうです。
貞芳院は京の宮家から水戸藩に嫁ぎましたが、夫に負けず劣らず個性的で活発な女性で、釣りを趣味とし薙刀や乗馬もこなす等の逸話が残っています。
夫婦仲は非常に良かったようですが、1860年に斉昭に先立たれてしまい、その後水戸では血を血で洗うような藩士の内戦が起き、しかしそんな惨状にはまるで我関せずというように中央では実の息子・慶喜が大政を奉還し、一方で実家の有栖川家の人間が新政府軍総督として慶喜を追討し…と、複雑な立場で幕末を経験します。
そんな目まぐるしい時代の後に亡き夫の造った好文亭で暮らす日々はどのようなものだったのでしょうか。
かつての住居、廃城されて既に荒れ始めていたであろう水戸城も好文亭からは見えたはずです。
そんな往時に想いを馳せながら薄暗い部屋べやを歩くと、奥御殿が少し身近に感じられる気がします。
貞芳院が好文亭で暮らしたのは明治2年(1869)から6年までの四年間だけで、その後は向島の水戸藩下屋敷・小梅邸に移り住み、最後の水戸藩主・昭武(慶喜の異母弟)の世話になっていたようです。
静岡に住む慶喜や近所の寺島邸に住む慶徳(慶喜の異母兄)らと時折交流しながら暮らし、明治26年(90歳)まで生きたそうです。
弘道館に行くと彼女の晩年の写真を見る事ができます。
【戦後の再建】その後空襲で焼けた好文亭が再建されたのは昭和33年、新しい襖絵が須田・田中画伯らによって描きあげられたのは昭和44年ですが、襖絵完成のわずか数ヶ月後に好文亭は落雷に遭い、建物は再び全焼します。
しかし新襖絵は燃え移る前に運び出され、殆どが無事だったそうです。
新襖絵は今でも美しく、火災から運び出してくれた当時の人々に感謝したい気持ちになります。
(現在の好文亭は昭和47年に再建された3代目の建物だそうです。
)【好文亭と一遊亭】園内の一画には斉昭が偕楽園設立の趣意を記した石碑「偕楽園記」がありますが(一張一弛の言葉もここに記されています)、そこには「好文亭と一遊亭の二つを作る」と書かれているそうです。
一遊亭は川を挟んで向かいの桜山(護国神社の場所)に建っていたらしいのですが、現在は石碑のみが残っています。
四季おりおりで楽しめる偕楽園。
好文亭から千波湖公園など見るとよい風景です。
春の梅・あきは萩が綺麗ですよね。
千波湖の花火も・・・
建物がたまらなく素晴らしい。
部屋の襖の絵も 部屋の配置もかなり凝ってますね。
部屋を囲む廊下。
湾曲のある渡り廊下二段階の階段などなどひとつ思ったことは暑い日に行ったのに中がひんやり涼しく驚いた。
偕楽園内にある3階建ての古い日本家屋。
大人200円で入ることが出来る。
古い建物を見るのが好きな人にオススメ。
3階まで上がることが出来、その3階からは偕楽園や近くの千波湖の景色も見渡すことができる。
夏場は外の庭園や屋外のそばには虫が多いので、苦手な人は注意が必要。
3階には、蜂についての貼り紙もある。
名前 |
好文亭 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
029-221-6570 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~16:30 |
関連サイト | |
評価 |
4.3 |
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園内の中程に位置する好文亭は、木造2層3階建ての好文亭本体と木造平屋建ての奥御殿から成り、これは徳川斉昭公が自ら設計したものと言われています。
ここに文人墨客や家臣、領内の人々を集め、詩歌や慰安会を催されたそうです。
偕楽園は「陰」と「陽」の世界観を意識して造られているとも言われています。
幽玄の世界のように、しっとりとした静けさが心地良い「陰」の世界と、陽が降り注いで早春にはかぐわしい梅の花が咲き誇る「陽」の世界というコントラストを楽しむのも、偕楽園ならではの魅力の一つでもあります。