水戸の歴史的名所の一つ。
水戸の歴史的名所の一つ。
知る人ぞ知るという感じでひっそりとしたたたずまいです。
水戸から江戸への道のりを水戸街道(江戸街道)と呼び、当時は徒歩で2-3日かかったのだそうです。
街道沿いには旅人を暑さ寒さから守る松並木が植えられたほか、道程のめやすに『一里塚』が築かれ一里(4km)ごとに道路の両側に榎の木が植えられていたそうです。
水戸街道は29里19町(約116km)あったので一里塚も恐らく28-29塚あったのでしょうが、現在はここ水戸市元吉田町や石岡市などに僅かに当時の名残りを見ることが出来ます。
また、土浦市板谷には旧水戸街道で残っている唯一の松並木があり、一里塚も道の両側に残っているそうです。
水戸街道には大小20ほどの宿駅が置かれ、水戸を出て最初の宿駅は茨城町の長岡でした。
茨城町に今も残る木村屋住宅は長岡宿の脇本陣だった建物だそうです(その近くにある藤屋の長岡みそ饅頭も有名です) 。
この街道の水戸側の起点は備前堀にかかる銷魂橋(たまげばし)、終点は江戸の日本橋です。
銷魂橋の名は、故郷を旅立つ悲しい気持ちを鎮めるという意味でつけられたとか、水戸に到着した時に目に飛び込んでくる水戸城の威容にたまげた(驚いた)場所だから…とか、諸説あるようです。
この元吉田の一里塚は、銷魂橋を出て最初の一里塚となります。
狭いT字路にあり、車の通りが激しいです。
不思議な感じの場所です。
【2018年1月 訪問】
水戸街道の道標跡。
お地蔵様もあり、さらに後ろに巨木もあります。
車の出入りが多い場所にあるので近くに車は停められません。
水戸街道の道標跡。
お地蔵様もあり、さらに後ろに巨木もあります。
車の出入りが多い場所にあるので近くに車は停められません。
名前 |
一里塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
水戸街道の一里塚跡。
案内板が設けられている。