まさに水戸黄門が今に語り継がれる歴史書の編纂の場所...
彰考館は水戸藩が日本の通史である「大日本史」を編纂するためにつくられた修史局です。
徳川光圀は1657年に江戸駒込の藩邸に史局を設け、通史編纂に着手しました。
その後、小石川の藩邸に移して彰考館(小石川彰考館)と名付けました。
水戸に移ったのは1697年からです(水戸彰考館)。
水戸彰考館は実力主義で経歴や年齢を問わず最高峰の学識を持った人で構成されました。
水戸彰考館のリーダーは総裁と呼ばれ、選挙で選ばれました。
彰考館の総裁は立原翠軒、藤田幽谷、会沢正志斎など、当時の水戸学を代表する人たちが務めています。
明治以降も彰考館は存続し「大日本史」の編纂は続けられ、1906年に完成しました。
所蔵資料は現在の水戸常磐神社の場所に彰考館文庫として保存されましたが、太平洋戦争中の水戸空襲で資料の大部分が焼け落ちてしまいました。
現在は残った資料とともに徳川ミュージアム内の彰考館文庫に引き継がれています。
「大日本史」の貴重な資料を失わせたのはやはり戦争。
戦争がどれだけの物を奪ったのかが痛感します。
もし今もそれが残っていたら一体どれくらい貴重な素晴らしい遺産になっていたことか。
彰考館があった場所は現在は石碑がぽつんと建つのみです。
水戸光圀さんの事などなど、丁寧に説明してくれました。
非常に良かったデス!
今では中学校となっています。
こんな重厚な校門、初めて見ました。
試験会場になっていました。
大きな石碑があります。
大日本史を編纂する為に光圀公が1698年に開設した建物だが、現在は水戸二中の敷地内に跡地があり見学は不可。
(。
u003eдu003c)ここだけではなく、見学したい場所がほぼ各学校の敷地内だなんて……😅
大きな石碑が建っています。
これといって何かあるわけではないですが、まさに水戸黄門が今に語り継がれる歴史書の編纂の場所。
感慨深いものです。
大日本史の編集の為に造られた彰考館の跡。
水戸ニ中敷地の一部にあったそうで、案内板と記念碑があります。
趣のある外観です。
建物もそれを偲ばせるものも無く、ただ記念碑が建っているだけでした。
建物は1945年の水戸空襲で消失したとのことです。
跡地は水戸二中になってました。
水戸二中の隣にあります。
大手橋を渡って、少し歩いたら見えます。
バレー部の学生さんがボランティアでお茶をたててくれました。
美味しかった!良いおもてなしだなぁと思いました。
名前 |
水戸彰考館跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
ここで大日本史が編纂されたと思うと感慨深い。