なにか引かれる好きな神社のひとつですね。
稲村神社(常陸太田市天神林町) / / / .
木々に囲まれた長い参道を進むと二の鳥居が見えてきます。
赤茶色の屋根の拝殿には扁額が見当たりませんが、実は光圀公直筆の扁額があり、大切に保管されているとの事。
創建は不明。
ご祭神は物部氏の祖神饒速日命。
境内には沢山の祠が祀られていて、光圀公に潰された八幡宮や、境内奥には摂社の雷神社もありました。
(^○^)
続日本後紀、日本三代実録にも載っている古社とのこと。
静かでとてもいい場所でした😊境内にある社には手書きの銘がついてました。
馬坂城址方面からは車両進入禁止(急勾配u0026凹凸激しすぎ)との事なので、佐竹寺方面からどうぞ。
神社に向かって下り坂ですが、入口は狭くないです。
広めの駐車場(砂利)あります。
ただ、参道(舗装)との段差がキツいです。
馬坂城址見学と一緒に参拝したので、歩いて来て良かったと思いました。
常陸太田のこの辺りは古くから信仰あったようです。
在地の神々を合祀し徳川光圀が建立した神社でありこじんまりしています。
個人的に常陸太田城に興味あり周辺の馬坂城跡みたくこちらの駐車場へ。
馬坂城跡は高台にあるが私有地なので散策しずらく稲村神社も高台にあり地形をみるにはいい場所ではある。
大きな城であったのは想像できるが山城好きな人や歴史好きな人以外にはいまいちの場所かもしれません。
古墳時代に久慈国の初代国造・船瀬足尼命(ふなせのすくね)が、物部氏の祖神・餃速日命(にぎはやひのみこと)を祀った悠久の歴史ある神社。
ここの地形が面白い✨。
大地から伸びた稜線が参道となり、その先の小高い丘に社殿があり、まるで天然の前方後円墳みたいです。
神武天皇に先立ち大和を支配したとされる物部氏の遠祖・餃速日命への敬意を感じ、この付近を本拠地にした理由も分かります。
妄想ですが😅。
延喜式内神社で、ここは論社のひとつですが、桜川磯部稲村神社とは祭神がかなり異なるのも不思議です。
場所は、国道61号線沿いの板東観音霊場佐竹寺の入口脇道を300㍍程入った右手にあります。
大きなケヤキが目印です。
曲がると直ぐ右に駐車場🅿があります。
参道が舗装されているからと先に進むと大変そうなのでご留意を。
近くに船瀬足尼命の墓と言われる巨大な前方後円墳の梵天山古墳もあるので是非どうぞ。
御朱印は天白波神社で頂戴できます。
どうやらつい最近まで宮司さんの家があったようだが、今は廃屋となっている。
近辺には墓地があり、累代の宮司様と思われる名前が刻まれていた。
創建年代は大和王朝の東国進出時代にまでさかのぼる模様。
もっとも、茨城にはこういった由来の神社が非常に多いのだが。
境内は森林と一体となっており、奥の雷神社が本来のご神体だったようにも思われる。
周囲の形状を考えると、もしかするともともとは古墳なのかもしれない。
社殿も立派で、周囲の環境も含め、どこか神威を感じた。
近くには中世の城跡や佐竹寺もあり、往時は一体的に機能していたのかもしれない。
最近 スピリチュアル界隈で注目を浴びていらしゃっる神様、邇芸速日命(にぎはやひのみこと)をお祀りしている神社が近所にあるのを知り、早速お参りに出掛けました。
駐車場に着くと、近くの竹やぶから大きな音がしてビックリしました。
歓迎されているんだ、と解釈して鳥居に向かいました。
手水舎には、柄杓はありません。
こういった場合、やり方はよくわかりませんが、自分なりに手と口を清め、拝殿へ。
ひっそりした雰囲気で、ゆっくり参拝したい派の自分には、合っているようです。
近いうちに、今度は櫻川磯部稲村神社に行って、瀬織津姫(せおりつひめ)の参拝に行きます。
知れば知るほど、その社格の高さが理解される神社。
一の鳥居から長い参道を通り、二の鳥居から境内に入るのですが、その途中の植栽や木漏れ日が心地よい。
境内も、宮司さんがいないにも関わらず、その鄙びた佇まいと祀られ方により、静謐で穏やかな空間が広がる。
境内には、複数の社が整然としているが、個々の社に銘がない。
そのため、どの御柱をお祀りしているのか解りませんが、大切に扱われているのがわかる。
四季のいずれに行っても、心打たれる場所です。
御朱印が欲しい場合、常陸太田市白羽町の天志良波神社の宮司さんから戴くことができます。
祭礼は、5月1日、6月1日、冬至、元旦他。
御祭神は饒速日命及び,神世七代の神々11柱(國常立尊・國狹槌尊・豊斟渟尊・泥土煮尊・沙土煮尊・大戸之道尊・大苫邊尊・面足尊・惶根尊・伊弉諾尊・伊弉册尊)。
船瀬足尼命(物部氏)が初代久自国造に任命された際,始祖である饒速日命を祀ったのがはじまりで,天神又は七面の神鏡が祀られたので「天神」又は「七代天神」と称したそうです。
また,日本武尊が当方征伐の折に造営したとの説もあります。
ちなみに,南西の方向には梵天山古墳があるが,船瀬足尼命の墳墓と云われる。
記録に残っているものでは,嘉祥2(849)年に稲村神が官社に預かった旨,延長5(927)年成立の延喜式神名帳では常陸国久慈郡の「稲村神社」として式内社(小社)に列した。
但し,鎮座地が天神林であり,隣に稲木という村があったことを根拠とする比定(論社)である。
平安時代末期に佐竹氏がこの地を領有すると,鎌倉から八幡宮を勧請したことから,当社の信仰が衰えたという。
新編常陸国誌によれば,元禄4(1691)年に光圀が天神林村を巡視した際,八幡宮を取り潰し,七代天神と称していた7塚を1社とするよう命じ,元禄6(1693)年に現在地に社殿を造営して鳥居に「七代天神宮」の扁額をかけさせたそうです。
明治時代となって式内社と比定されたことから「七代天神宮」を「稲村神社」に社名を改め,郷社に列された。
いろいろな説をつなぎ合わせたような感じで,難しいですね。
少なくとも光圀自身は「天神」を式内社である稲村神社であるという認識はなかったようですね。
場所は,県道61号線から一本北の旧道の狭い道路の途中,一の鳥居があり,そこから両側を鎮守の杜で囲まれた広い参道が北へ延びます。
下り坂が上り坂になり,左手に宮司さんの家らしき建物がありますが,現在は使われていない様子です。
やがて石段上に二の鳥居が現れ,小さな神橋,神門の先に静かな境内が広がります。
拝殿から隣の建物に繋がる橋も珍しいです。
神気漂う御神域にあって,古い歴史に思いをはせました。
なお,本殿後ろに「雷神社」の案内版がありましたので,藪へ分け入ったのですが,倒木で通れなくなって引き返しました。
もっと若かったら強行したのでしょうけど,最近は根性が足りません。
雨乞いの神様だそうです。
大変静かな場所です。
大きくはありませんが、神楽殿や小さな祠がたくさんあり境内を散策するのも楽しいです。
公道から社殿まで少し距離はありますが、地元の方はだいぶ中まで車で乗り入れています。
自然や静寂を好む方にお勧めのスポットですが、暗いうちだと怖いかもしれません。
また、地震の影響で崩れた境内の一部は補修が済んでいなかったり、参道脇も一部崖だったり、イノシシの目撃情報もあったり、いろいろスリリングでもあります。
更に境内奥には「雷神社」へ続く道があります。
名前 |
稲村神社(常陸太田市天神林町) |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.5 |
こんな場所に饒速日命を祀る神社があったことに驚きです。
歴史から消されてしまった神様。
この風の時代に復活される神様です。
💦是非とも訪れたい場所でした。