高岡の街を歩いて見つけた諏訪明神。
拝殿大屋根から落下する雪から参拝者を守る三角形のシェルターに目を奪われます。
雪国ならではの温かい配慮に心和みます。
御神木の銀杏の木がすごかった。
よくよく間近でみてみてほしい。
なんで幹の真ん中の空洞は、地面の奥深くまで穴が空いているのか。
うまい具合に土が入っていない。
でも隣の空洞には土が盛り上がっている。
品格ある神社御神木の銀杏も立派。
御朱印、お受けできます。
また、大・小の御朱印帳も授与できます。
今春、参拝者用駐車場も新設されました。
皆様も高岡にお越しの際、いかがでしょうか。
なんか由緒ありそう。
●懐かしすぎる「かわらのみや」。
子ども時代をこの近くで暮らしていたので、とてつもなく懐かしいです。
子どもたちは皆「かわらのみや」と呼んでいたものです。
本当は諏訪神社だったんですね。
今、知りました。
古くは、千保川が小矢部川の本流で、中島町と神社の間の道も川だったとのこと。
明治時代には水害が起きて、中島町は大変な被害にあったと聞いたことがあります。
もう一つ歴史ネタでいうと、中島町から神社の脇を抜ける道路は、旧北陸道になります。
北陸の大動脈だったわけで、かわらのみやは当時の旅人の信仰も集めていたことでしょう。
さて、昭和40~50年代の高岡は、大和デパートや夏の七夕まつりなど、ずいぶんと数の人々が大勢行き交う、賑わいある町の印象が強いです。
ところが、ストリートビューで見る限り、当時の勢いは微塵も感じられないのですね。
みなさん、お元気でお暮らしでしょうか?そんな「かわらのみや」は普段、子どもたちが“野球”や“てんまかつけ”で遊ぶ格好の場所でした。
秋には、例大祭がありました(今もあるんでしょうか?)境内にはスマートボールや射的、こんにゃく田楽、りんご飴、水飴、薄っぺらい昆布味の利いたお好み焼き、輪投げも合ったかな?さらには硬いガムの板に刻まれた線を釘などで上手くくり抜けたら景品がもらえる屋台とか、けっこうな数の屋台が並んで、放課後には十円玉や百円玉を握りしめた子どもたちでひしめき合っていたものでした。
そういえば、この神社のご神木には「天狗が棲んでいる」という言い伝えがあって、道路に伸びた枝を勝手に切ろうとすると、災いがあるという話を聞いたものです。
すいません、懐かしさのあまり口コミでもなんでもない内容になってしまいました。
反省です。
御朱印ありません。
名前 |
川巴良諏訪神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0766-22-6448 |
住所 |
|
評価 |
3.9 |
高岡の街を歩いて見つけた諏訪明神。
洪水で流れてきた石をタケミナカタになぞらえ、諏訪明神を祀ったそうだ。
一緒に祀られている三神については、偶然かもしれないが、高岡の町を体現しているように見える恵比寿→商売神だから山町筋関係?カグヅチ→火の神という事は鋳物関係?金屋町?菅原道真→前田家は先祖を菅原道真と称していた。