昔は越中之国一ノ宮の神社になっていたみたいです小高...
風鈴演出を知り🚗行ってみました。
先ずは見晴らし台に寄り(高台で気持ち良い〜)参道に風鈴の音色が涼しげに響き、とても良い良かったです。
駐車場は左側に10台以上あり止めてから階段を登ります😣ちょっとキツイです。
ここも、昔は越中之国一ノ宮の神社になっていたみたいです小高い山の上にありそこから雨晴海岸が一望できます。
大国主さまを祀っている越中の國一の宮の神社⛩️鳥居の横にある駐車場に車🚗止めて、ちょっと長い階段を登ってお社へ🚶\u200d♀️ここは車🚗でしか行けないかな😅お参りの人はわたし達だけ💦キレイに清掃された階段、参道、とても気持ち良くて、歩くだけで心が浄化された感じがします🙋\u200d♀️お参りのあと、横から本殿を見てきましたとても厳かなお社が見れました🍀
早朝に行ったからでしょうか、澄んだ空気の中で気持ち良く参拝出来ました。
眺望が良い高台にあるので、この時期は海に上る朝日が拝めます。
御朱印は駐車場手前の社務所にある書置きを頂いて帰りました。
北陸には、名前が似た一宮が三社ある。
気多(けた)大社 能登国一宮 石川県羽咋市気多(けた)神社 越中国一宮 富山県高岡市居多(こた)神社 越後国一宮 新潟県上越市2023年の夏の旅行でこの三社を巡拝した。
三社とも祭神に大国主命/大己貴命を奉斎する。
大国主命は天照大神に国譲りをした後、出雲大社に鎮まったとされている。
古代、出雲と北陸は日本海航路で結ばれ、強い繋がりがあったらしい。
三社とも海の近くに鎮座していた。
ーーーーーーーーーー2023年8月15日 参拝高岡市の気多神社は、富山湾を臨む丘の上に鎮座していた。
麓から神社までの坂道はかなりの急勾配だったが、その分、境内からの眺めは良かった。
富山湾を一望し、湾の向こうに後立山連峰が見えた。
ーーーーーーーーーー境内の看板に、気多神に関連した次の説明があった。
「この地域はもと高志(古志・越)の國として纏まり、今の福井・石川・富山・新潟県を合わせた北陸一帯の沿岸にわたる大きな國であった。
畿内政権とは異にし、日本海沿岸域は高志と出雲が連携掌握していた地域であったと思われる。
」ーーーーーーーーーーかつて神社の近くに越中国府があった。
天平18年(746)万葉歌人の大伴家持が国主として越中国府に赴任し、天平勝宝3年(751)までこの地で過ごした。
境内に大伴神社と顕彰碑があった。
ただし大伴家持がこの地に在任していた当時、この神社はまだ存在していなかったらしい。
大伴家持は、この地で過ごした5年間の様子を万葉集に詳細に詠っている。
国府から少し離れた場所にある二上神(現・射水神社)を詠んだ和歌が万葉集に収録されているが、より近くにあった筈のこの神社の歌はない。
大伴家持が在任していたのは、能登国が越中国に合併されていた時期にあたる。
その頃、越中国の一宮は羽咋の気多大社だったが、天平宝字元年(757)越中国から能登国が分立すると、気多大社は能登国の一宮となった。
社伝によれば、この神社の創建は養老元年(717)だが、実際は、能登国が分立した頃、羽咋の気多大社から分祠されたらしい。
元からこの地に鎮座していた二上神との一宮争いを経た後、越中国の一宮になった。
山の上の方に鎮座されているお社でした。
とても良い気のある空間でした。
御朱印は少し降りたとこにある社務所(無人ですが)でいただけます。
越中国一ノ宮を参拝させていただきましてありがとうございました。
境内はそれほど大きくありませんが流石に風格あります!厳かな雰囲気と高台にあり富山湾も眺める事ができます。
しっとりと雨に濡れた美しい神域に伺わせて頂きました。
静かな境内で心穏やかにお一日詣りをさせて頂きました。
越中國一宮とされるのが数社あってどちらがどうとか定かではないが、当社の伏木港や市街地を見渡せる高台にある立地と、木々が鬱蒼としている植生、そのなかにあって深奥なる雰囲気など自分的には高評価です。
境内地に総社があったとされる跡地があり、伏木古国府地区が国府推定地とされ、付近に越中国分寺跡もあり、一宮かどうかは別として総社であったのではと思う。
『一宮』なのに何故か4社もある『越中一宮』の1社です。
伏木観光ついでに立ち寄ってみました。
高台にあるので何気に良い眺めを楽しめます。
社務所は階段下の駐車場から少し下がった所にあります。
交通安全ステッカーは取り扱ってないとのこと。
穏やかで静かな良いお宮でした。
ご朱印集めが趣味の方には向いていないかも知れないですが、純粋に神社の静けさや清らかさを好ましく思う方にはお勧めの神社です。
4ヶ所もある越中国一宮のひとつです。
祭神はオオナムチノミコトで、オオクニヌシノミコトと同一神とされます。
かつては神仏習合のお寺でした。
本殿は室町時代のものといわれています。
書き置きの御朱印があるとの口コミを目にしていた為時間の関係で最後になりました。
躊躇しなければならない時間に差し掛かりましたが氣を付けてお詣りいたしました🤣本殿のある境内は一ノ宮なの?という印象を受けるほどの大きさですが「すっ」とした氣で満たされていました。
祝詞奉上後に御朱印を受けに社務所に参りましたが蜂🐝2匹で車から出られず…一旦離れて戻りましたが降りて歩き始めてすぐに1匹飛んできて騒いでいたら…(時間が過ぎて既に閉まっていたようですが開けてくださいました。
社務所は神社の鳥居よりほんの少し下がったところにあります。
夏季の現在で17:00頃には窓が閉められるようです。
本殿はとても質素だけど、参道は静かで名前の通りパワーたっぷりさすが一之宮です。
越中国一宮を称する神社の内の一つ。
二上山山麓に建つ神社で、石川県の氣多大社とは間違いなく関連性の高い神社と思われる。
室町時代に建てられた本殿が重要文化財に指定されている。
町中から少し離れていて、厳かな雰囲気が流れる。
境内には万葉集の歌碑が多く建てられているが、その一方で、この地に国司として赴任していた大伴家持がこの神社について言及していない。
この事から、家持の時代の後の創建とも考えられている。
本殿は戦国時代に建造されてもので重要文化財。
その前にある杉の巨木は幹回り4.7mもありました!創建は古く天平時代。
厳かな良い雰囲気の神社です👍
雰囲気が良いところです。
恋愛にご縁があるそうです。
啄木鳥なども居て、とても自然豊かな神社でした。
御朱印は社務所なので、参拝後に駐車場下まで下る必要があります。
高岡市伏木一宮にある越中國一ノ宮4社の一つ。
伏木はかつて国分寺や国府があった地で、越中総社跡伝承地が境内にある。
元は能登が越中に含まれていた頃には、能登の気多大社が社格からも越中一宮で、その後能登が分かれたのでこちらが越中一宮になったとか。
本殿は国の重文指定。
日曜日の午後遅く、ふと思い立って階段をやっとこさ昇って、お参りに訪れたのだが、家族連れや夫婦連れがぽつぽつと詣でに来て、人の気配が消えることはないが、杉木立が立ち並ぶ境内には神気が満ち満ちている。
ご朱印は階段手前の社務所に、案内看板に従って行くと小窓に書き置きの大小二種類のご朱印が幾枚か置いてあり、お賽銭箱に任意で初穂料を納めていただいてくるようだ。
当方は300円をお納めして、ご朱印をいただいて来た。
越中の國の一宮の1つですがほかの神社と比べると若干・・・その昔は大きな伽藍もあり隆盛を誇った時期もあるようですただ伏木の街並みを見下ろす高台にありそれなりの雰囲気はあります下の参道の駐車場にクルマを停めて階段を登り本堂へ社務所はその駐車場の下からちょっと登ったところにありますが神社の方は常駐ではない様子です。
社務所は留守でした。
御朱印は書置きが大と小の2種類置いてありますので(数枚)立寄ってから(なくならないうちに)お詣りをした方がいいかも知れません。
境内には大伴家持を祀ってある大伴神社もあります。
そういえば、富山には一の宮を名乗る神社が4つもあり(高瀬神社・雄山神社・射水神社)どれが一番一の宮に近いのだろうか(全部一宮会に入っているので近い遠いはないのだけど)ただ高瀬神社は南砺市高瀬、射水神社は高岡市古城、雄山神社は立山町で地名に一の宮が入ってないのを考えると、ここ氣田神社が一番濃厚なのかな?石川県の氣田大社から分祀されているのを考えても。
石段手前に手水舎と駐車場有り。
手摺のあるまっすぐな石段の先は、木々で囲まれた落ち着いた雰囲気。
さらにその先に本殿があります。
とても落ち着いた雰囲気です。
御朱印は駐車場手前の社務所にて頂けます。
書置のみとなりますが、大小2種類、書体も異なります。
日付までちゃんと記入されています♪
乱立する越中國の一ノ宮の一社ですが、規模が小さくひっそりとして寂れた印象を受けました。
境内の清掃も一部行き届いていません。
御朱印は社務所で受領出来るとの事ですが残念ながら書き置き対応でした。
(19/04/22)御朱印(書置き)を社務所でいただきました。
※社務所は鳥居を下った先にあります。
御祭神 大己貴命(おおなむちのみこと:大国主神(おおくにぬしのかみ)) 奴奈加波比売命(ぬなかわひめのみこと)旧社格:県社、式内社(名神大社または小)越中国一宮(越中国内で一宮は4社有り)です。
重要文化財:本殿駐車場があります。
気多神社けたじんじゃt富山県高岡市伏木一宮1丁目10-1祭神t大己貴命奴奈加波比売命式内社(大)越中国一宮能登国の気多大社を勧請能登国は越中から独立したり元に戻ったり色んな経緯あり能登国が越中から独立した際に能登国の気多大社を勧請したのであろう越中国一宮を称す社は高瀬神社、気多神社、射水神社、雄山神社があるが参拝者が一番多いのは高瀬神社射水神社も人出は多いが高岡城公園が市民の憩いの場となっているからであろう雄山神社山頂社は神威あり越中国一宮は住所に一宮が入っている当社であろう大己貴命と奴奈加波比売命は大己貴命が越のヒスイと美姫を求めて出雲より越と出雲の交流が伺える。
富山県にある越中一ノ宮、全四社で六ヶ所ある神社の内の一社です。
それほど広くない富山(越中)に、なぜ四社も一ノ宮があるのか不思議です?興味深いというか面白いのが、僧の行基が建立したことです。
境内に入ると、跡は残っていますが寺院としての雰囲気は全然感じません。
一ノ宮にもかかわらず、御朱印が書き置き(貼るタイプ)というのは?と思います。
まぁ~、ここだけではないですが...。
レンタカーで気多大社の後に訪れました。
神社内の雰囲気は良かったです。
社務所が無人だというのは、情報から理解してましたが、参拝客も1人しか遭わずに勿体ないと思いました。
拝殿にかかる白と紫の布の柄が素敵なお社。
社務所は本殿境内外で、坂の下にあり、御朱印は初穂料を入れて、あらかじめ書いてある御朱印を持ち帰るシステム。
御朱印までの道程が、初めての経験緑深く、水を汲みに来ている方もいらして、いい雰囲気。
全国一の宮になっています。
御朱印は、社務所の小窓を開けると、大版と小版とがファイルに入って置いてあります。
初穂料はその奥の賽銭箱に入れます。
参道工事の最中に訪問しました。
背の高い樹木が多く、神社の歴史を感じさせてくれます。
日の光が届きにくいこととと、湿気が多いからでしょうか、コケが多く見られました。
リラックスできる場所だと思います。
名前 |
氣多神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0766-44-1836 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
気多神社は越中国一宮で、石川県羽咋市にある気多大社から勧請されて当地に鎮座されました。
嘗ての国府の近くにあり、大伴家持も参拝したとか。
本殿は国の重要文化財に指定されており、見えませんが本殿には弘法大師真筆額「一宮」と藤原行成卿真筆額「氣多大社」が懸かっております。
当神社は二上山の麓にあり、緑豊かで静かな、とても心洗われる場所です。
御朱印は基本書き置きのものをセルフで頂くスタイルで代金はお心次第で、とのこと。