増山陣屋の駐車場に車をとめて来ました。
途中まで登りました。
景色は微妙ですね。
木漏れ日はいい感じでした。
あちこちに説明板あっておもしろいです。
とやま城郭カードの1つに選ばれてます。
夏秋は蚊ぶんぶん飛んでます!対策はちゃんとしましょう。
車で訪問陣屋に車を止めて1時間くらいかけて見学。
まだまだ見るところはあるが時間の関係で断念。
城スタンプ押印のため、少し離れた埋蔵センターにてたくさんのお城グッズを頂くことができました。
登城した方は是非立ち寄ることをお勧めします。
とても素敵な取り組みを行っていました。
増山陣屋に広い駐車場があります。
陣屋のトイレは非常に綺麗で奥様は感動していました。
ダム湖の橋を渡った先が登山口です。
門をくぐって整備された小道が続きます。
途中の案内看板にあるQRコードを読み込むと春風亭昇太師匠が説明をしてくれるサービスは歴史に詳しくない私には大助かりです。
日本かも鹿にも遭遇し、最高でしたよ。
どらやきが報告します。
山城好きなら、一度は行っておきたい城でしょう。
普通の城好きは、天守閣も何もないのでつまらない、その道のかた向けですね。
100名城になり、ある程度整備されてきましたが、いまだ途中。
声の出演で、城好きで有名な、笑点の春風亭昇太師匠があちこちでどういう場所だったかを紹介してくれるようになっています。
機械が置いてあり、ボタンで音声が流れます。
また、城を楽しむためのアプリも開発されています。
ぜひダウンロードしたうえで、観光された方がよいかとおもいます。
写真を張っておきますね。
標高124m、冠木門から比高約80m駐車場にトイレ、「増山陣屋」には無料パンフレットもある😄さすがの国指定史跡朝早すぎて陣屋は開いてなかったけど、案内板にも縄張図が載ってて困ることは無かった夏の山城はけっこう草が多く、遊歩道以外は遺構が見にくい😅しかし、でっっかい堀や土塁、切岸はハッキリわかる♬鐘搗堂から下りるとナントカ見れる畝状竪堀群はモチロン、亀山城、孫次山砦まで探り歩くと🧗7時間以上かかった(^ー^;Aたっっっぷり戦国山城を楽しめますよん🕺
増山城跡は国定公園。
公園の入り口から山道が整備されています。
車を降りてすぐに登山気分を味わえます。
みなさんも行ってみてくださいネ♪
流石越中三大山城!巨大な堀切、連続竪堀、曲輪、切岸、土塁等見所満載で楽しませてくれます。
1度は行ってみたい城跡です。
区画や道がしっかり残っています道は整備されているので城内を動き回るのには困ることはあんまりないと思いますがパンフがないとパッとみる分には主要道から外れてしまうこともあるのでじっくり見ない方はパンフを持ち歩いた方が良いでしょう1ノ丸にいく道は井戸側のみでもう片方は封鎖されていますので下りの道に差し掛かったら進行方向が違います。
6月23日アジサイが見頃です。
疲れたころに昇太様の解説があり場所の様子がわかり、こんな城跡初めてです。
帰り道、パンフレットに載ってた、城下町だったところの土塁はよく残ってます。
案内所の貸し杖とパンフレットは助かりました。
城🏯のボランティア活動の皆様ありがとう。
増山陣屋の駐車場に車をとめて来ました。
思ったより傾斜のきつい階段u0026坂道がありますので、歩きやすい靴、動きやすい格好で来られるのが無難です。
この日は、結構ぐるっと歩きました。
(亀山城跡あたりも)熊の出やすい季節は、気を付けてください。
地元の人でもあまり知らない城でしたけど、続100名城になったことで県外からも訪れる人が増えました。
遊歩道が整備されていますが簡単なハイキングなのでちゃんとした靴が必要です。
じっくり見学すれば2時間位必要かもしれません。
天守や櫓はありませんが、山や川をそのまま生かした天然の要塞としてのスケール感がすばらしいです。
川を渡った西側にも車は少し停められます。
七曲りもそうしんどくはないです。
5月でも藪や雑草が多いので大変ですが、スケールの広さはなかなかのものです。
国指定史跡増山城跡富山県砺波市にあるこの城跡は越中三大山城とされ、戦国時代は神保氏の拠点でした。
上杉と織田で争った地域でもあり巨大な城跡を見ると重要な拠点だったことがわかります。
現在はよく整備されており、サインひとつひとつに春風亭昇太さんの解説が入って面白いです。
見所はそれぞれの曲輪です。
二の丸は特に大きく櫓台がはっきりわかる遺構や土塁が確認できます。
2017年には続日本100名城に選定されました。
和田川ダム管理事務所近くに駐車場が整備されています。
案内所にはパンフレットが配置され、増山城のガイドマップを手にしながら、いざ城跡へ登城。
ダムを渡ったところから早速階段状の登り通路。
踏み幅を充分にとってありますので、一段一段ゆっくりと廻りの景色を楽しみながら進みます。
山城の特徴堀切を写真に納め、眼下の景色や遠くに見える白山の山々を見ながら先ずは一之丸そして主核の二之丸、大変良く整備されています。
詳しくは写真をご覧下さいね‼️😃
車で行かれる方はナビを増山ダム管理事務所に設定をすると到着出来ます。
近くに無料の駐車場の増山陣屋が有りますので、駐車場からダムを越えて10分掛からずに入口に到着します。
台風19号の後だったので二の丸手前から水が流れ出していたので本丸は断念しました。
F郭から本丸までは15分かからないらしいので、晴れた日に行かれた方がいいかも知れません。
増山城跡壮大な山城、ダムの管理事務所側から登って行けます。
スタンプは車で10分程離れた砺波市文化財埋蔵センターにあります。
こちらの女性の方は親切でお城に対する愛を感じます。
南北朝時代の築城です。
戦国時代は越後守護代である神保氏の重要拠点となっていました。
戦国時代、越中は神保氏、椎名氏、能登畠山氏、越後上杉氏、一向一揆、織田氏が入り乱れての乱戦となっていました。
そういった情勢の中増山城は越中三大山城の一つとして神保氏の重要な拠点として機能していました。
しかし長い戦乱の中で上杉氏に二度、織田氏に一度、開城・落城させられています。
増山城は和田川を天然の堀とし山一つを城郭として普請されています。
立地は砺波平野の北側の山裾となっています。
周辺には支城も数多く作られていて一つの城郭として機能しています。
奥行きは深く無数の曲輪が作られています。
大手から高所までの比肩は90メートルほどです。
増山城のある山ですが険しいというわけではありません。
個々の曲輪は高い切り堀と土塁により囲まれていて、その周囲に横矢がかかるように通路が設けられています。
しかし3度落城させられていることからもわかるように、鉄壁という程のものではありません。
虎口に馬出しなどが取り入れられておらず、防御力が不足している、規模が大きすぎて一守護代が守るには荷が重すぎるといった事が考えられます。
戦国末期に何度も落城させられていることを考えると攻城技術の進歩に付いて行けていなかったという事も考えられます。
現在の増山城ですが、非常に綺麗に管理されています。
麓の資料館にはパンフレットや研究成果の展示がなされています。
城内の通路や主だった曲輪は下草がきちんと刈られており大変見学がしやすくなっています。
増山城は歴史のメイン舞台に上がるほどの活躍はしていませんが、中世山城というものを見てみたい人には非常に貴重な場所と言えます。
続100名城 No.135 増山城スタンプ設置場所:砺波市埋蔵文化センター越中に数百ある山城の頂点に君臨する越中三大山城のひとつ。
「増山城」「守山城」「松倉城」上杉謙信が三度攻め入った堅城。
二ノ丸を中心曲輪として大規模な空堀を巡らす。
大手と搦め手があり、ダムにかかった橋を渡ると登城口。
なかなか大きな空堀が見所だと思います。
お天気も良く、ちょっとした運動になりました。
地図がわかりづらく迷いました。
越中三大山城の一つと言われているだけあって、敷地が広いです。
城跡なのでほとんど何も残ってはいませんが、案内板やパンフレットで情報を確認しながら散策するのは楽しかったです。
越中三大山城の一つに挙げられる巨大山城跡。
越中守護代の神保氏が放生津城の支城と位置づけていたが、越後の上杉謙信によって攻略され、謙信死後は佐々成政、前田利家の支配下となり、前田家重臣・中川光重が守りました。
織豊系城郭の特徴が薄く、各曲輪の独立性の高さから、神保氏時代の様子を強く残しているように思う。
城跡は現在、国指定史跡として整備され、非常に訪問しやすい。
『曲輪の会』に依頼すれば案内サービスもしてくれる。
城全体をとりまく巨大な堀切、急で高い切岸、櫓台や土塁を張り巡らした徹底した守りに圧倒されるので是非訪問を。
「増山陣屋」に駐車場があり、城郭図などのパンフレットも置いてあります。
越中三大山城!規模、遺構共に見応えがある!山城好きなら是非お勧めしたい所です。
名前 |
増山城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0763-33-1609 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
増山城は国の指定史跡で続日本百名城に認定されています。
戦国時代は神保氏の居城でしたが、上杉謙信により落城。
その後、上杉⇒佐々⇒前田と領有者が移り変わり江戸時代初期に廃城となりました。
増山城は標高は130m程度と高くないのでそれほど苦労せず主郭までたどり着くことができます。
ただし、城域は大変広く、また丁寧な案内板も備え付けられているので、全部を見て回ると2時間程度は必要かと思います。
キツイ山道を登る必要がなく整備もされているので、初心者や子どもが見て回るには大変良い山城だと思いました。
多くの曲輪、堀切、竪堀、横堀、切岸、土塁など山城に特徴的な遺構がふんだんに残されています。
非常に実践的な山城だったのだなと思わされました。
景色があまり見えないのが難点です。