一関市の〔配志和神社〕に芭蕉句碑がある。
446段の石段がありますので心の準備を。
Googleマップでは辿り着けません。
〝配志和神社 第一駐車場〟で検索を。
私は生まれて15歳になるまで配志和神社の近くに住んでいました🏠幼少期 毎日のように通い 遊び育った思い出深き神社⛩️👦今でもジブリの世界を思わせるような雰囲気がとてもたまりません😌そして本殿前 2本の夫婦杉はいつ見ても素晴らしく いっぱい元気をくれます✨🌳🌳👀小学生の頃 友達は産湯ヶ池のあたりで赤い目をした白蛇様と遭遇したとよく話していました🐍昨日 配志和神社に行けた事に感謝✨☀⛩️また実家へ行く際には 必ず立ち寄りたい⛩️🙏🏻✨
夫婦杉という巨樹があります向かって右側目通り幹囲 7.1m樹高 36m左側目通り幹囲 4.8m樹高 25m聴こえるのは雨音と蝉の声のみ。
白鳥神社末社のスズメバチに、歓迎されました。
夫婦杉という巨樹があります向かって右側目通り幹囲 7.1m樹高 36m左側目通り幹囲 25m樹高 4.8m聴こえるのは雨音と蝉の声のみ。
お詣りできてよかったーって場所です。
二本の巨木に挟まれた圧倒感は必見。
岩手県南部では一番の格式高い神社です。
日本武尊命の伝説がこちらと同県の紫波町で伝承が有ります。
本堂までの階段がすごい。
森の中にひっそりとある本堂は圧巻。
夜は怖くて行けない😇
2020年10月18日に参拝しました。
一関市内では、最も信仰を集める神社の一つだと思います。
社殿前にそびえる夫婦杉は、霊気を感じます。
長い階段の参道を登るのが大変な方は、忠魂碑に通じる車道を登ることも出来ます。
丁度良く、初日の出が見れました⤴ものの数秒でしたが🎵階段は長く、結構😓足にきます💦
他の方も、投稿している通りGoogleナビが間違っていますカフェもりそんを、目指して少し北へ通り過ぎて左折です。
一関の市街地に有るとは思えない位静寂で趣の有る神社です。
本殿までの石段は450段位で途中にも小さなお社やモミ林、石碑の様なものが有り、飽きずに登れると思います。
本殿や周りのお社も立派なので、興味のある方は是非訪れてみて下さい!
家の近くの大好きな神社。
階段が長いです!山の風が心地いいです。
階段をのぼり終わった後の景色がすごく好きです。
たくさんの神様が居ますよ。
創建は日本武尊が蝦夷征伐の際、高皇産霊尊、瓊瓊杵尊、木花開耶姫命の三神を祀り戦勝祈願した事から始まり、中世に入り現在地に遷座したと伝わります。
有り難く、”配志和神社”の御朱印を頂きました。
長い階段の参道、とても静かで厳かな雰囲気を感じさせてくれる境内はパワースポット感が満ち溢れています。
心がとても癒されました。
夫婦杉や姥杉といった市指定天然記念物がありました。
参道を歩くのは大変そうだったので、車で上まで行きました。
休みの日の散歩コース。
長ーい階段の上にある境内と杉の大木2本は見事です。
夏は蚊の大群が群がってきます。
山だしそりゃ普通ですが。
それをさっ引いてもやはり神社は良いです。
日本武尊の伝承のある神社です。
参道の雰囲気にゾクッとしました。
社殿は歴史を感じさせますが、社殿前の御神木はインパクトがありました。
行ってみて分かったのが、意外とスケールの大きな神社でした。
ちょっとマイナーな神社ですが、宮司さんの息子さんが自分と同じ県内の神社でお務めしてから戻って来られたと聞き、親しみが湧きました。
御朱印戴きました。
この神社の参道を携帯の待受画面にしてます。
駐車場は下の参道入口の左側を進んだ所にあります。
[延喜式内社]陸奥國 磐井郡 配志和神社【岩手県神道青年会HPより】 延喜式神名帳にも記載されており、創立は古くから人皇十二代景行天皇の御代、皇子日本武尊詔を奉じて軍を率い、遠く道の奥の国に入り蝦夷の地に至る。
進んで営をこの地、中津郷の耶麻要峯に移し(神社境内)、その嶺頂に登り梟賊を平治せんことを祈り、自ら矛を収め三神を鎮齋し、東奥鎮護の神として祠を建て火石輪と称した。
今の配志和神社である。
日本武尊の伝承のある神社です。
参道の雰囲気にゾクッとしました。
社殿は歴史を感じさせますが、社殿前の御神木はインパクトがありました。
行ってみて分かったのが、意外とスケールの大きな神社でした。
ちょっとマイナーな神社ですが、宮司さんの息子さんが自分と同じ県内の神社でお務めしてから戻って来られたと聞き、親しみが湧きました。
御朱印戴きました。
この神社の参道を携帯の待受画面にしてます。
駐車場は下の参道入口の左側を進んだ所にあります。
式内社 陸奥國磐井郡 配志和神社(はいしわじんじゃ)御祭神: 高皇産靈神 瓊瓊杵尊 木花開耶姫命景行天皇の御代、日本武尊により創祀されたという。
「火石輪」が変化して「配志和」となったとされる。
当初、磐座山に鎮座していたが、中世に現在地に遷座したといわれ、磐座山を本山・奥の院と呼び、現在地を新山という。
長い杉林の中を抜けて、お参りは、お疲れ様のご利益がありそうです。
参道をかけ上がった翌日、筋肉痛になりました。
高齢者にはちょっぴりキツイ参道です。
携帯のGoogleナビを利用したら公園の山の中に案内されましたのでご注意ください❗(笑)
一関市の〔配志和神社〕に芭蕉句碑がある。
1基は社務所近くの池のそばにあって 此の梅に牛も初音となきつべし もう1基は長い長い石段を上がった本殿の横にある。
むめが香にのっと日の出る山路かな 苦労しながら長い石段を登っているとジョギングの男性があっという間に追い抜いて行った。
とてもではないが自分にはできる芸当ではない。
A lot of stairs but worth it for the peace and scenery. Highly recommended.
日本武尊が瓊瓊杵尊を祀り、東征最北の地といわれる。
岩山芳憲宮司。
はしわ神社日本武尊御東征の時、天磐座山に登りて、梟賊平定を祈り矛を納め三柱の神(高皇産霊尊、瓊瓊杵命、木花咲耶姫)を鎮祭、祠を火石輪と称し、東辺の鎮守とした。
@上代日本正史 原田常治著P126
名前 |
配志和神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0191-23-2904 |
住所 |
|
評価 |
4.2 |
子供の頃よく遊びに行きました。
階段を数えながら境内へ。
いまはハイキングコースにもなっていて、気軽に森林浴できます。