北陸に浄土真宗を広めた蓮如上人ゆかりの史跡が見られ...
浄土真宗の蓮如上人が北陸での布教の中心拠点に選んだ場所。
道の駅から階段主体の歩道を登り切ると、そこそこ広い平坦な跡地に到着。
高台だけど季節柄なのかな?夏の眺望は案外でした。
高文連以来、およそ50年ぶりに訪問しました。
当時、説明頂いた歴史的なお話は忘れてしまってましたがこの機会に再度調べてみようと思います。
蓮如上人ゆかりの地。
とにかく人がいない…
真田戦記吉崎御坊福井県あわら市吉崎2丁目東西約150m、南北約130m、面積約2haの台地で、北陸に浄土真宗を広めた蓮如上人ゆかりの史跡が見られる場所です。
ほとんど城に見えてしまう櫓もありました。
本願寺第八代門主蓮如は、比叡山延暦寺との敵対関係を逃れて、1471) 年この地に御坊を かまえ、真宗教団の再興に大きく貢献しました。
布教の手段として御文(御文章)と講をもって信心と布施を定着化し、本願寺の財政再建と門徒拡大をなしましたが、他派寺院の嫉妬を招き、側近の裏切りや朝倉家の弾圧にいたたまれず、蓮如は1475年8月、ひそかに海路吉崎を脱出しました。
時に蓮如61 才、わずか4年2ヶ月の滞在でしたが、吉崎は真宗教団再興の地として歴史的意義が大きいといえます。
蓮如撤退後は一向一揆の拠点となりましたが、朝倉氏の攻撃を受けて廃坊となりました。
以後、坊舎のあった吉崎山は復興されませんが、江戸期には麓に西本願寺別院と東本願寺別院が建立されました。
三方を北潟湖に囲まれた天然の要害であり、実際に一向一揆の際に拠点として使用されたため、防御拠点として機能していたことは確かな様です。
ひょんなことから、見識を得て見学しました。
下調べしてからの見学をおすすめします。
北潟湖と海がつながる畔に建っています。
荘厳な雰囲気のお寺さんと清々しい景色を楽しむことが出来ます。
2021年3月半ばにお参りに訪れてまさかの桜の花も見る事が出来てよかったです!。
桜はこちらの高台の上に咲いています。
2022年4月25日に妻とまた来てみました。
昨年見た桜の花は終わっていましたが今年は違った花(違う桜!?)が満開でとても綺麗でした!。
この景色がいつも美しい。
今日のような晴れももちろん、雪の日も、雨上がりなんかもきれいでした。
今回3回目。
ミサゴが留まっていたり、魚がはねたり、箱庭のように景色と自然がまとまってて、心が安らぐ。
平日の午前中がおすすめです。
吉崎御坊は浄土真宗の僧侶蓮如(れんにょ、京都本願寺8世)によって建てられた。
吉崎道場とも呼ばれる。
室町時代に蓮如は、阿弥陀仏の救いを信じれば、誰でも極楽往生ができることを平易な文章(御文)で説き、講(こう)を組織して惣村に広めていった。
精力的な布教活動によって本願寺の勢力は、近畿、東海、北陸地方に広まり、各地域ごとに強く結束し、強大なものとなった。
このため、農村の支配を強めつつあった大名権力と門徒集団が衝突し各地で一向一揆が起こった。
一向一揆の一向は一向宗(浄土宗)のこと。
丘の上にある史跡です。
それなりに由緒あるようですが寂れています。
ここからの眺めは最高‼︎北潟湖に島が浮かび、その向こう側には日本海。
下の駐車場から歩いて5分くらいで、すぐ登れます。
浄土真宗の歴史の勉強になりましま。
他の人の写真、高村光雲氏の作られた蓮如上人の像を見たくてやって来ました。
道は狭い所もありますが上まで車で上がれます。
あいにく雨模様で景色的にはもうひとつでした。
蓮如上人のどうどうとした姿、光雲氏の作風を見ることができ良かったです。
あと少し濡れた苔、上に積もった枯れ葉の色合いが良かったです。
奇跡的に一分間ほど晴れ間が訪れシャッターを切ることができました。
#蓮如上人ここは蓮如上人のゆかりの地です。
ここには『嫁脅しの肉付き面』があります。
福井県の昔話の場所です。
実物もあります。
ここのお坊さんがとてもお話上手で事細かく教えてくれたり時には笑わせたりと、とても面白く、そして勉強にもなりました。
あっという間に一時間位過ぎてしまいます。
吉崎御坊よしざきごぼう比叡山延暦寺の迫害を受けて京から逃れた本願寺の蓮如が北陸の布教拠点として構える蓮如は異様な程の勢力家で53人もの子を設けた記憶違いで一両年はずれていると思いますが前妻が死亡その時武士の家の出の嫁を初めてもらうその時83歳で最後の子供は84歳の子異様な絶倫です第一、坊主が83歳になって嫁をもらうか?!今のモラルと違いますが歴代の法主が地方布教に出かけると泊めた有力者が例えば2人娘があれば2人とも法主に供養「お手付き」なると良縁に恵まれるという!
流石に浄土真宗中興の祖 蓮如上人いにしえの地。
浄土真宗本願寺派の八代目の僧侶、蓮如上人が築いたお寺やその史跡跡です。
混雑している時期を知らないので、そうでない時期は静かでゆっくりと建物や史跡を巡ることができます。
本坊があった吉崎山の山頂には、今はひっそりと史跡が残るだけで、建物も何もありませんが、ここに立って周囲の景色を眺めていると、往時のこのお寺の姿が蘇ってきそうな気分になります。
とりあえずこの御坊や蓮如の歴史については近くにある資料館(記念館)に任せるとして、このお寺や史跡をじっくり見て愉しむといいと思います。
ただ、2018年の度重なる台風の影響を受け、老朽化と伴ってかなり建物は傷んだそうです。
現在敷地各所で修復協力の募金箱が置かれています。
綺麗に整備されていて大事にされていると思った。
アクセス方法の説明が足りなかった。
蓮如再起の地。
高村光雲作の像は力強い眼差しで蓮如の思いの激しさを表すが、この地の風景はどこか寂しい。
500円の 拝観料 を払えば 、 住職さんのお話が聞けれます。
私的にはなかなか面白かったです。
御山ふもとの広い駐車場から、本願寺吉崎別院(西御坊)と真宗大谷派吉崎別院(東御坊)の間にある参道を五分ほど登ると、吉崎御坊跡地に上がることができます。
もし道がわからなければ、駐車場脇のお土産屋さんか、駐車場すぐにある山門を入ったところの本願寺吉崎別院の職員に声をかければ、案内してもらえると思います。
蓮如上人にまつわる数多くの史跡が今でも残されており、日本海側を望む景色は心を洗われるようです。
今から550年以上前、風雪激しいこの地に蓮如上人が立っていらっしゃいました。
なぜそこまでされてこの地から北陸、そして全国に、お念仏を広めようとされたのか、そして命をかけて全国からこの地に教えを求めてこられる方が後をたたないのか、そんなことを思いながら、この地に立ってみるとまた、見えてくる風景、そして史跡の数々が違って見えてくるかもしれません。
蓮如上人に興味のある方は是非とも訪れることをお勧めします。
大きく見れば一つの敷地のなかに、本願寺派と大谷派の吉崎別院が肩を並べている。
浄土真宗のお寺は、念仏道場であることを(あったことを)考える機会を与えていただけると思います。
浄土真宗中興の祖 蓮如上人 吉崎御坊近くの食堂..にて「御坊食堂」の卵カツ丼が美味しかった..昭和時代の感じで落ち着く。
門徒としてお参りさせて頂きました。
「焼け残りの名号」「腹籠りの御聖教」「嫁威し肉附きの面」と有名な話があります。
是非とも御影道中にてお参りしたいものです。
南無阿弥陀仏。
名前 |
史跡 吉崎御坊跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0776-73-1221 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
道の駅から徒歩5分ほど散策にちょうど良いです。