打倒織田信長で小谷城朝倉の盟友。
一乗谷朝倉氏遺跡 朝倉館跡庭園 / / .
発掘によって見つかったものでしょうが、キレイに復元し過ぎていないところがまたよい。
かの義景公が糸桜をめでつつ鞠を天高く舞い上げた名園。
一乗谷の栄華、ここに極まれり。
あまり手を加えず、程良い管理状態です。
朝倉義景が足利義昭を迎えるために整備した庭園。
一度は埋もれ、発掘調査で発見されているが、有名観光地の様に大規模な再整備が進んでいない分、無骨な感じがして良い。
和歌を詠む雅なイベントや、鉄砲隊の迫力のある射撃など、多彩なイベントを毎年行なっています。
日本遺産となっただけあって、自然が満喫できますし、平日にカメラを片手に散歩へ出かけてみるのも良いと思います。
復原町並で、扉が開いていたので、部屋を覗いたところ、着物を着た人が携帯電話をいじっていたのが笑えました。
足利義昭がきた。
一番に歴史の波がきたところでしょうか❓ 何故毛利元就のところではなかったのでしょうか❓三好の領地に近いから❓京から遠いから❓本当のところは何が基準だったのでしょうか❓越後の次に財力があるとすると頷ける気がします。
ここに立てば町並みを見渡すことができる。
一乗谷の領主の館で、5代目 義景様の住居と推測されます。
三方が土手と濠で囲まれ常御殿、主殿、会所などの建物が真中の日本最古の花壇を囲み、その外側に台 所、 厩、蔵などが建っていました。
日本最古と言われる花壇があります。
池も古く、当時はピカピカだったろう石もかなり侵食されて雰囲気あります。
ここに館を建てて庭を眺めながら住んでいたのか。
山の上ではなかったんだなぁ。
というのが私の感想でした。
敵方が攻めてきた、となった時は山の上に兵糧とか色々はこんだんでしょうかね。
山裾にある庭園跡。
打倒織田信長で小谷城朝倉の盟友。
復原街並みを見下ろす、大名屋敷と庭園跡。
想像力を働かせると、戦国時代と同じ時間が流れているような感覚を味わえます。
名前 |
一乗谷朝倉氏遺跡 朝倉館跡庭園 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
1994年5月に訪れました。
五月雨に濡れた若葉が美しかったことを鮮明に憶えています。