朝倉義景の側室だった小少将の館跡。
一乗谷朝倉氏遺跡 諏訪館跡庭園 / / / .
朝倉義景の妻妾である小少将が住まいにしていた屋敷の庭園との事。
屋敷は無くなりましたが、現在でも滝が流れ落ち、岩の上に生えたモミジがあるお陰で、風情を感じさせます🍁。
上城戸を見た後、遊歩道から少し上がって最初に見ました。
大きな岩と池で立派な庭だったことが窺えます!
一乗谷にあった諏訪氏館の庭園跡になります。
全体的に寂しい感じでしが、当時の雰囲気を感じるには十分でした。
諏訪館は朝倉義景の妻「小少将(こしょうしょう)」の館で、その庭園は遺跡の中でも最も規模の大きいものです。
中心の4m余りの巨石は、滝の石組の一部となっており、全体に水平感と垂直感を基本にして安定感のある構成になっています。
この石には江戸時代末に彫り込まれた3代貞景、4代孝景等の法名(ほうみょう)が残されています。
巨大な石の庭園です。
湯殿跡庭園と同様見応えあります。
2021.6.26BSP「絶対行きたくなるニッポンの不滅の名城一乗谷」で紹介されました。
京都からの客を接待するために銀閣寺に負けない庭園を作った。
お庭が素敵です。
詳しくなければ、ただの広場。
朝倉義景の妻である少小将が居住した館であったと伝えられています。
諏訪館跡庭園は、一条谷で最も規模が大きい庭園であるとのことです。
朝倉義景の側室だった小少将の館跡。
上下二段構成の回遊式林泉庭園であり、日本でも第一級の豪華さを誇ると言われている。
整備しきれていない感はあるが当時の面影を残している。
自然たっぷり。
緑の季節の景色抜群でした。
お散歩コースに是非どうぞ。
年齢問わず楽しめます。
朝倉の財力は凄いですね。
奥さんのためにと言っても財力がなければ叶わぬこと。
昔の人もこの庭を眺めていたんだなあって思うと、不思議な感慨にひたっちゃいました。
戦国時代の庭園日本でも数少ない特別名勝らしいがほかのと比べるとそんなに流行ってない。
諏訪館跡は、朝倉5代当主義景の妻「小少将(こしょうしょう)」の館跡と伝えられています。
諏訪館跡の中にある庭園は、この遺跡の中でも最も規模が大きく壮麗で、義景が寵愛した妻「小少将」のためにつくったと伝えられています。
戦国時代の池泉(ちせん)庭園では、日本でも第一級の豪華さを誇る庭園です。
滝口の右にある巨大な石は、「諏訪(すわ)の立石(たていし)」と呼ばれ、高さが4m以上あります。
諏訪の立石には、朝倉氏供養のために、朝倉氏の参謀(さんぼう)であった朝倉教景(のりかげ)、朝倉3代当主貞景(さだかげ)、4代当主孝景(たかかげ)の法名が江戸時代以降に彫られ、今に残っています。
小少将は、義景との間に嫡男「愛王丸(あいおうまる)」をもうけますが、天正(てんしょう)元年(1573)、義景自害の後、母高徳院(こうとくいん)、妻小少将、嫡男愛王丸(4歳)は義景のいとこであった朝倉景鏡(かげあきら)に捕えられ、今庄の帰里(かえるのさと)付近で殺害されてしまいます。
福井県立一乗朝倉氏資料館HPより。
ちょっと登ってくれば戦国時代の庭園が見れます。
なかなか立派な庭園でした。
整備がもうちと良ければもっと良いのになぁ。
行った事はないのですが、歴史好きな私としては、ハズせない場所です。
武田家との戦いに敗れた時の領主・諏訪氏の居城(館)だと思うのですが、如何です?今も尚、諏訪氏の功績の大きさがいかなる物だったかを示す貴重な史跡と言えるのではないか思います。
昔の庭園跡。
看板によると「下段の滝副石は高さ413cmで日本最大」らしく「朝倉教景、貞景、孝景の法名が刻まれている」らしい(←私は確認しませんでした)。
名前 |
一乗谷朝倉氏遺跡 諏訪館跡庭園 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0776-41-2173 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
サクラの季節は最高のロケーション、百名城の中でも、天守閣もなく、町屋、武家屋敷も現存ではなく、街全体を復元し当時の生活を忍ばせる、朝倉博物館まで川沿い左側がおすすめ。