紀州、備中、伊賀、尾張と旅して伊勢神宮にたどり着く...
倭姫命(ヤマトヒメ)終わりのない旅路の中坂手神社で、ひとやすみ。
豊鍬入姫命は、姪の倭姫命に「私も年を取り過ぎました。
代わって貴女がこの大任を果たして下さい」と、天照大御神の御杖代(みつえしろ)の役目を託されました。
生涯を費やす大仕事です。
第10代崇神天皇の頃、国内に於いて次々と、疫病や災害が起こります。
崇神天皇は天照大神の御霊と同居し天照大神に対し、無礼な振る舞いであると考え天照大神を住みよい地に御霊を奉じることとしました。
皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に天照大御神の御霊を奉じる別の場所を探すように命ぜられました、そしてその役目は、倭姫命に引き継がれます。
倭姫命(やまとひめのみこと)は第11代、垂仁天皇の第4皇女(娘)で、第12代、景行天皇の妹にあたります。
『倭姫命世記』によると、尾張は、当時美濃国造の支配下でした。
美濃国造は倭姫命と同族であり伊勢への船旅に当たって船を三隻と巡航にお供する舎人、采女を贈ったとされます。
倭姫命は母、日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)を通じ、美濃の国造り、丹波道主命(たんばのみちぬしのみこと)―彦坐王(ひこいますのおう)の末裔として繋がる間柄です。
兄である、景行天皇の皇后(正妻)は美濃出身の八坂入媛命(やさかいりびめのみこと)を娶りその娘、五百城入姫皇女(廬入姫)は、この坂手神社の北側にある門間庄島村で暮らしていました。
そのような間柄であったため、倭姫命は手厚くもてなされこの地で、一時の休息をしたことでしょう。
現在の社、西側には、坂手神社 旧鎮座地として倭姫命が荷物を置いたという荷置塚道石もあります。
この社が、元伊勢、「尾張中島宮」であると言い切れませんが、倭姫命がこの地に立ち寄り縁者と打ち解け、気の休まる時間を過ごしたことは間違いなさそうです。
地名の「佐千原」は、この坂手神社が起源とされ『坂手』→『佐手原』→『佐千原』に転じたと伝えられます。
穏やかないい感じでした😃
由緒ある神社。
ヤタの鏡伝説遥かな昔、倭姫は三種の神器の1つヤタの鏡の奉納先を求めて、大和から丹波、紀州、備中、伊賀、尾張と旅して伊勢神宮にたどり着く。
坂手神社はこの時の道筋にあり、ヤタの鏡を一時仮奉納したといわれている。
碑文と古事記、日本書紀より。
敷地の広いけど駐車場がない田んぼの中にある雰囲気の良い神社です。
親子狛犬がありました。
名前 |
坂手神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
地元の氏神さま。