ご神縁巡り、中南信最後に巡りました。
例祭の忙しい中、丁寧に御朱印対応していただけました。
祭神は仁科盛遠。
大正時代に森城の主郭(本丸)に勧請されたのが始まりで、城主だった仁科盛遠や明治以降の戦没者が祀られています。
拝殿は木造平屋建て、切妻、鉄板亀甲葺き、平入、桁行7間、外壁は真壁造り素木横板張り。
本殿は一間社神明造、外壁は真壁造り素木横板張り。
境内には仁科盛遠の顕彰碑や「もとどり塚」、古碑などがあります。
仁科盛遠は鎌倉時代初期に後鳥羽上皇に従い、承久3(1221)年に発生した承久の乱の際には朝廷方として鎌倉幕府と敵対し、幕府方の北条朝時と越中国礪波山での戦いで敗れ討死。
そのさい、森城(仁科城)の一角に盛遠の髻(もとどり)――髪を頭の上に集めて束ねた部分――を埋めて御霊を弔ったのが「もとどり塚」の由来だとか。
仁科神社にしなじんじゃ長野県大町市平9675祭神仁科盛遠仁科氏の居城である「森城」の跡地に建てられたという風光明媚な「木崎湖」がすぐ近くにあります2021/8/31 参詣。
日陰の多い湖畔が見える神社。
地元の方が綺麗にしてる由緒ある場所。
写真は7月23日。
信濃の豪族、仁科氏の城。
森城最期の城主は、武田信玄の五男で勝頼の異母弟である仁科盛信。
甲州征伐で武田軍の一族、重臣が逃散・寝返るなか、高遠城に籠城し織田軍に抗戦、玉砕する。
城跡は神社のある主郭だけが残る。
他の遺構は宅地化により消滅。
駐車場は主郭内にあるが、入口が封鎖されている為、駐車できない。
武田一族、仁科盛信時代に丸馬出が備わっていた説がある♪ 今は畑だけど段差は残っている。
ペンションに民宿がた~くさんあってのんびりしたくなる涼しさ(*´∀`) 今年暑すぎ!
県歌;信濃の国に出て来る<仁科の吾郎盛信>の浮島城跡。
当時の築城の様子を読み、歴史の重みを感じました。
名前 |
仁科神社 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
ご神縁巡り、中南信最後に巡りました。
ご朱印展も楽しめました。