上洛を目指す天狗党と幕府より追討を命じられた松本藩...
水戸浪士の墓(浪人塚) / / .
道沿いにあるので、解り易いです。
墓と碑のみだけで趣はなかったな。
元治はかなり昔になりました。
幕末の水戸浪士たちの墓があります。
上洛を目指す天狗党と幕府より追討を命じられた松本藩と諏訪藩が和田峠で交戦。
天狗党で戦死した浪士を葬ったとされる塚。
横道に入ってから、それほど細い路じゃなくて良かった。
ひっそりと、そこに在る。
堂々とした墓碑がある。
車を停めるスペースがあるので、初夏の日中に弁当持参でピクニックなんてのもいいかと。
夜は多分、怖い。
天狗党の戦いで討ち死した地になります。
かわいそうとかの口コミがありますが、歴史見ると今でいえばISとかのテロ集団と同じです。
自分たちの軍資金のため、なんの関係もない一般町民を恐喝し、抵抗すると無慈悲に殺して宿場全体に放火するなど最低のことをしてたようです。
しまいに一般人も我慢の限界に達し、幕府軍を本部とする討伐隊と協力して反撃したほどで、慰霊などするに値しないのかもしれません。
天狗党の歴史を知る中でたどり着きました。
歴代の水戸市長も訪れるとか。
確か植樹された木があったはず。
車は路側帯のようなところに止めることができます。
天狗党の足跡を辿るバイクソロツーリングの旅で訪れました。
国道沿いの看板は見つけたもののお墓の場所が何処なのかチョット探してしまいました。
約150年にここで繰り広げられ戦乱と亡くなっていった人たちの無念さに想いを馳せ、柄になくウルっとしてしまうよう、そんな場所です。
私の母方の先祖が、天狗党の一員として水戸市内で戦死し、水戸市内の回天神社に祀られている事もあり、諏訪大社参拝の折に線香を手向けて参りました。
幹線道路からの入り口がわかりにくいのでご注意を。
元治元年に水戸藩の天狗党の藩士が京都を目指して西上する際に幕府の命を受けて迎えた松本藩・高島藩の藩士たちとの間の戦で命を落とした水戸藩の藩士のうち姓名が分かった6名を祀る墓碑と盛り土。
下諏訪町を通る旧中山道から見えます。
幕末維新期の歴史に関心のある方は是非、水月公園内にある松本藩士の墓と合わせてご訪問ください🙇🏻
茨城県から当時ここにきて討伐にして亡く無念な事でしょう。
当時の事を思うと可哀想ですね。
今でも寂しい感じを受けるが夜は怖いところですね。
茨城県水戸市の名を和田峠に見た?なぜ、こんな距離を歩いてまでこの地に果てたのか?悲しい、そしてわびしい無念を感じ取る。
元治元年(1864)11月20日水戸浪人(天狗塔)の総勢千余名が、和田峠で、待受けた松本・高島藩士と争い、多数の死傷を出した。
それを慰霊する塚である。
名前 |
水戸浪士の墓(浪人塚) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.town.shimosuwa.lg.jp/www/contents/1001000000752/index.html |
評価 |
3.5 |
明治の混乱期、天狗党と呼ばれる水戸浪士の一派が京の都を目指して進軍、地元の松本藩、高島藩連合軍と衝突、多数の死傷者を出した場所です。
車の運転手をしてますが、たまたま通りかかった時に、浪士の子孫の方々が、バスで慰霊に来られているのを見かけたことがあります。