2023/2/1出雲の神タケミナカタ神が地場の神で...
藤島神社(荒神塚古墳) / / / .
2023/2/1出雲の神タケミナカタ神が地場の神であったモリヤ氏と対峙した場所と言われています。
タケミナカタ神が勝利し、後の諏訪大社のトップ(オオホウリ)となり、諏訪氏の始祖となります。
荒神塚(こうじんづか)古墳は明治14年に発見。
横穴式石室の円墳だった。
藤島神社がその古墳の上に祀られている。
昭和9年に道路拡張に合わせ、墳丘の一部を削り、社殿の下に収蔵龕を造り収蔵品を収めていたが、昭和60年に取り出し、美術考古館に寄贈・展示されている。
お諏訪様が北陸からこの地方に逃れてきて際に最初に現れた地ということで訪れてみました。
私が参詣したときには記念碑も大きな鳥居もありませんでした。
(2022/03)少し山側にある熊野神社さんの駐車場にクルマを停めさせていただいて1分ほど歩きました。
すぐに通り過ぎてしまいそうで、対峙する洩矢神社と比べてしまうと小さいかもしれない。
建御名方命と洩矢神の戦いの時に建御名方命の本陣が置かれたとの伝承があります。
神話と歴史の接点のような内容です。
建御名方が土着神と対面するときに陣を布いたと言われる場所。
洩矢(もりや)神社と天竜川を挟んで祀られている社です。
諏訪大社所管の摂社の一つ。
H30.8.19参拝。
思ったより小さい。
地図を確認し見逃さないよう注意。
私の訪れた際は草が生えに生えていて、足元もあまり見えないくらいでした。
が、よく見ると蔓科の植物が『自生』しており「あぁ、ここは諏訪の信仰の、諏訪の歴史の生きた証なんだなぁ」と実感しました。
決して過去の遺物とかではなく、自然に現代までひっそりと続いているんですね。
なおこの社に関する案内は、対岸の洩矢神社にある案内板が詳しいのでそちらを参照すると良いかと思います。
駐車場もなく小さなお社なので車で行く際は気を付けてください。
よく見ていないと通り過ぎます。
洩矢神社と違って、建御名方命は諏訪明神として祀られているので、ここはもはや大切にされてないのかな。
特に何もな居場所でしたが、対岸まで藤が繁っていたという伝承に想いを馳せ、開発されてしまってる街に寂しさを感じた。
藤島社は荒神塚古墳にあった社である。
岡谷市教育委員会の報告書によると、荒神塚古墳は県道下諏訪辰野線の拡幅に引っ掛かることが判明し、調査後に取り壊しとなったらしい。
かつては小高い塚に松の木が植わっていて、松の木の根元に藤島社の祠がある古墳だったらしい。
現在、既に古墳は無く藤島社の社のみとなっている。
しかも印刷会社の建物に囲まれた感じになっており、古墳だった面影がなにもないのは残念。
藤島社に祀られているのは名が示すように藤島神であるが、古墳に葬られた者が藤島神となったのかは不明。
縄文時代より伊那谷との交流のあるこの地域は縄文時代から栄えていた。
周辺や近隣に海戸遺跡や広畑遺跡等々がある。
朝廷が勢力を拡大する過程で、この地域で諏訪地方古来の信仰(ミシャグジを祀る信仰→洩矢族)と伊那谷を伝って朝廷から入ってきた天照系の信仰(諏訪明神)とが衝突した。
この地域には洩矢族(守矢族あるいは守屋族とも)が残した遺跡が多い。
例えば、天竜川対岸の洩矢神社など。
なお、洩矢神社にも藤島神が祀られている。
名前 |
藤島神社(荒神塚古墳) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
綺麗に整えられてはいるけどちょっと寂しいかな。
いやここで戦いがあったとするとこのくらいの方が諸行無常感があるのかもしれない。
ちなみに駐車場とかはないです。