必ずここの諏訪御料人の墓所に手を合わせて帰ります。
諏訪御料人のお墓参りに行きました(イラスト描いたりさせていただいておりますので)あまり資料が残っていない方ですので、そこはイマジネーションの見せ所ですが。
”自分の人生を自分で決められる”その尊さを感じさせていただきました。
とりあえず看板薄いわ。
石仏のお寺として有名だそうで石仏を見に立ち寄りました。
順路がありそれに沿って見学しました。
囲われているのであまりよくは見えませんでしたが立派でした。
西日本修業旅の後、守屋貞治仏に久しぶりに会いに。
海岸寺ほどではないが、貞治地元のお寺さんのため、20体程度には出会えます。
ご縁いただきありがとう!
本堂は急な石段を上がった先にありますが、途中から脇道に入ると、数多くの石仏を見ながら歩いていくことができるます。
お寺の静かなたたずまいと合わせて、心癒される場所です。
高遠は好きな場所で長野に来ると、必ずここの諏訪御料人の墓所に手を合わせて帰ります。
石仏好きにはたまりません。
桜の時期ではなかったからでしょうか、人もいなくてとっても静かに見ることが出来ました。
石仏がずら~と並んでいて、一体一体の表情も異なってて。
興味深く見させて頂くことが出来ました。
階段の上から見下ろす町並みも良かったです。
由緒あるお寺に参拝出来て良かったです❗️お賽銭の入れる所が解らず、お参りするだけでした❗️
数多く安置されている石仏群は一見の価値あり!臨済宗のお寺です。
昨年住職が代わり、新しい住職も前の住職同様に優しく素敵な方です。
お経を読むときの声も魅力的ですよ。
とても大きなお寺です。
新しい和尚さんが最近入ったみたいです。
久しぶりにお墓参りに行きました。
古いお寺さんですが綺麗に管理されてます。
桜祭りなどのイベント期間にはライトアップもされ、普段は木の格子で囲まれた石仏群を間近に拝むことができます。
イベント期間以外でも多くの石仏を観ることができます。
高遠に訪れた際にはぜひ訪ねてみてください。
石仏群。
是非見てください。
高遠城址の桜祭に合わせたライトアップ時に行くと石仏群が荘厳。
高遠駅バス停近くの、石段を上がると臨済宗妙心寺派の寺院がある。
御本尊は釈迦如来。
代々、高遠城主保科家の菩提寺とされた。
諏訪御料人のお墓と、保科正直、正光の父子のお墓がある。
車で行くときは、バス停横の細い道を登っていくのだが、細いのと勾配が急。
坂の下では、車の下部をこすらないように、注意が必要。
石工の素晴らしさを堪能。
ここには武田勝頼の母の墓がある。
武田信玄によって諏訪氏が滅ぼされた時14歳で信玄の側室となった勝頼の母は、19歳の時に勝頼を産み、信玄は諏訪氏族懐柔策として勝頼に諏訪氏の名跡を継がせ、諏訪四郎勝頼と名乗らせ伊那郡代として 高遠城に居住させた。
母の名は由布姫、湖衣姫、雪姫、諏訪御料人などといわれているが、はっきりしたことはわからない。
墓所についても諸説あるが、高遠城主となった勝頼が母を高遠に呼び寄せ、この地で病没したのでここに葬ったと思われる。
仏足石を見に行って、守屋貞治さんの石仏群にびっくり👀素晴らしい‼
今日は残念お詣りでした、お昼前でした本堂は閉門中、順路どうりに看板とお地蔵様の拝観。
大宝山 建福寺伊那諏訪八十八ヶ所 第51番札所武田勝頼生母の諏訪御料人、保科正直、保科正光の墓を伝える。
諏訪御料人の墓があります。
名前 |
建福寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0265-94-2336 |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
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高遠城の桜を甘いお汁粉とするならば、建福寺の石仏は昆布の佃煮です。
華やかなものを見すぎて疲れた目を和ませるのにぴったりです。
高遠には日本全国を渡り歩いて旅稼ぎをする石工の集団があって、高遠石工と総称されていました。
高遠石工のうちでもとりわけ名高いのが江戸時代後期に活躍した守屋貞治で、建福寺には西国三十三所観世音をはじめとした数多くの作品が残されています。
超絶の技工、強烈な作家性を感じさせるものではなくとも、篤実な作風はなかなかに味わい深く、見るものの目を惹きつけます。
なお、近くにある観光案内所には3Dプリンタで出力した石仏のミニチュアをガチャガチャで販売しています。
私は四連続でダブりを引いてコンプをあきらめましたが、興味のある方はどうぞ。