久しぶりにお墓参りに行きました。
本堂は急な石段を上がった先にありますが、途中から脇道に入ると、数多くの石仏を見ながら歩いていくことができるます。
お寺の静かなたたずまいと合わせて、心癒される場所です。
桜の時期ではなかったからでしょうか、人もいなくてとっても静かに見ることが出来ました。
石仏がずら~と並んでいて、一体一体の表情も異なってて。
興味深く見させて頂くことが出来ました。
階段の上から見下ろす町並みも良かったです。
数多く安置されている石仏群は一見の価値あり!臨済宗のお寺です。
昨年住職が代わり、新しい住職も前の住職同様に優しく素敵な方です。
お経を読むときの声も魅力的ですよ。
桜祭りなどのイベント期間にはライトアップもされ、普段は木の格子で囲まれた石仏群を間近に拝むことができます。
イベント期間以外でも多くの石仏を観ることができます。
高遠に訪れた際にはぜひ訪ねてみてください。
高遠駅バス停近くの、石段を上がると臨済宗妙心寺派の寺院がある。
御本尊は釈迦如来。
代々、高遠城主保科家の菩提寺とされた。
諏訪御料人のお墓と、保科正直、正光の父子のお墓がある。
車で行くときは、バス停横の細い道を登っていくのだが、細いのと勾配が急。
坂の下では、車の下部をこすらないように、注意が必要。
ここには武田勝頼の母の墓がある。
武田信玄によって諏訪氏が滅ぼされた時14歳で信玄の側室となった勝頼の母は、19歳の時に勝頼を産み、信玄は諏訪氏族懐柔策として勝頼に諏訪氏の名跡を継がせ、諏訪四郎勝頼と名乗らせ伊那郡代として 高遠城に居住させた。
母の名は由布姫、湖衣姫、雪姫、諏訪御料人などといわれているが、はっきりしたことはわからない。
墓所についても諸説あるが、高遠城主となった勝頼が母を高遠に呼び寄せ、この地で病没したのでここに葬ったと思われる。
名前 |
建福寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0265-94-2336 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
西日本修業旅の後、守屋貞治仏に久しぶりに会いに。
海岸寺ほどではないが、貞治地元のお寺さんのため、20体程度には出会えます。
ご縁いただきありがとう!