ここへ飛ばされて数年が経ちましたが、まだ見つかって...
JR飯田線「駒ヶ根駅」から車で約20分、県道18号「伊那生田飯田線」の「火山峠」から約500mの道路脇にある駒ヶ根市の史跡名勝天然記念物(1970/昭和45年4月24日指定)の赤松だ。
樹齢約400年と言われ、幹周約3m、高さ約11m、枝張り約17mだが、俳人井月の門人たちが「付近一帯が松茸の産地であることから、芭蕉の句の中よりこの地にちなんだもの選んだ」ということで、「者世越 松茸や志良ぬ木乃葉能遍はり都支」の句碑を1869~1870(明治2~3)年に建立して以来、「芭蕉の松」と呼ばれるようになったと言われている。
1987(昭和62)年5月には、その芭蕉の句碑に並んで、井月の梅関筆による辞世「井月終焉の道 闇幾夜毛花能明りや西乃旅 井月」(くらきよもはなのあかりやにしのたび)の句碑が建立された。
井月とは、「柳の家井月」「北越漁人」などとも号し、近世の俳諧沈滞期「月並俳句の時代」にあって芭蕉の再評価を目指した俳人だ。
1822(文政5)年に越後長岡藩で生まれ、1858(安政5)年忽然と伊那谷に姿を現して以来、同地で放浪の生活を続け、酒を好み漂泊を主題に俳句を詠んでいたが、戸籍法をうけ1884(明治17)年には美篶村(現在の伊那市)塩原折治(梅関)の厄介人として塩原家へ付籍して「塩原清助」を名乗ったという。
1886(明治19)年12月に路傍で行き倒れているところを発見され、塩原家で看病を受けるも、1887(明治20)年2月16日に66歳で没したと伝えられている。
ここへ飛ばされて数年が経ちましたが、まだ見つかってません!!隠れるには最適です(笑)
飯田から駒ヶ根へ向かう県道の火山峠麓にある、芭蕉の松。
芭蕉はこの松を見ながら、句を読んだそうです。
この松を見ていると、旅人が行き交う風景が目に浮かびます。
名前 |
火山峠芭蕉の松 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://www.kankou-komagane.com/spot/inspection2.php?id=158&c_id=1&cj_id=3 |
評価 |
4.1 |
松尾芭蕉が訪れた訳ではありません。
確か。