地味ですが、是非尋ねたい場所です。
やはり現地で実物を見ると、智恵子への思いとか、戦争に加担したことへの自裁という光太郎の気持ちがよく分かる気がします。
近くの光太郎記念館の展示も充実していて必見です。
誰もいません 行くとセンサーが動き電気と説明のテープが流れました中は入れません 外からみます この周りの散歩道は熊の目撃情報があったとかで 熊よけ鈴を記念館で貸してくれました。
高村光太郎が過ごした書斎、彼がつくったおしゃれな建物。
愛情のこもった造りが印象的。
売店の蕎麦は、納豆入のものがおいしい。
駐車場は広く入りやすい。
東京のアトリエが空襲で焼けた後、宮沢賢治の弟さんを頼って疎開。
花巻に住んだ8年のうちほとんどを過ごした場所。
二重構造になっており、中にガラスで覆われた山荘がある。
敷地内の記念館、散策路を含めて楽しめる場所。
星を一つ減らしたのは、屋外にあるため、虫が入ってきてしまうため。
名前 |
高村山荘 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 8:30~16:30 |
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
味があって面白いです。
高村光太郎は東京のアトリエを空襲で失い、以前から親交のあった花巻の宮沢賢治の実家に昭和20年5月に疎開してきました。
しかし、8月に宮沢家も空襲にあい、終戦後の10月から太田山口に住むことになりました。