西郷隆盛は西洋の国家像を直輸入した近代の日本には間...
秘境に近い場所ですが、それなりに観光客が訪れ写真を撮っていくスポットのようです。
廃貨物線と大きな銅山跡が何とも言えない雰囲気を醸し出しており、非現実的な、またどこか神秘的な魅力を感じられる場所です。
古い橋が残されています。
足尾は銅山で急激な発展と急激な衰退がありました。
このため、当時のインフラが史跡として残されています。
床版が木製の弦の低いワーレントラス橋で、ドイツから輸入しています。
旧橋が焼失したので、今残るこの橋は鋼材の組み立てからわすが2ヶ月で完成させたという短期架橋は、当時の足尾の人口の多さと、古河足尾歴史館で見れる突貫工事の得意な下地があったから出来たのでしょう。
明治23年架橋、足尾の鉱山遺構の中で当時のまま現存する貴重な遺産で国重文です。
ドイツ製のトラス橋で、鉄鋼が編み出す幾何学模様と木の床板のコントラストが美しい橋です。
毎日この橋を渡って本山坑へ向かう坑夫たちの中には、三途の川を渡るような思いの方もいたのでしょうね。
二月で積雪凍結を心配したけどココまでの路面はまったく大丈夫、でも時々ダンプもオシゴトで通るうえお年寄りもいるので安全運転で通りましょう。
対岸にはお猿の集団がいて襲われる心配をしましたがアチラが先に逃げてくれて良かったです。
大昔の足尾線の終点だった足尾本山駅へは立入禁止で近寄っただけで防犯ライトが反応しました。
(2023.2)
産業遺産を間近に感じれます。
昭和にタイムスリップしたような精錬所跡もありなかなか味わえない空間です。
築130年超、足尾の最初期から見守る橋だそうです。
老朽化しすぎて人が渡ることすらできませんが、いつまでも残り続けてほしいです。
渡良瀬川にかかる橋で国の重要文化財に指定されている。
橋のたもとには廃工場があり、その場所には、わたらせ渓谷鐵道の前身であるかつての国鉄・足尾線の終着駅「足尾本山駅」があった。
1987年に休止となってから30年以上経過しているが、わたらせ渓谷鐵道の終着駅「間藤駅」から「足尾本山駅」までの廃線区間は、レールの一部が今でも残っている。
ただ、立入禁止の場所が多くてレールを確認することは難しくなっている。
今や廃駅となった足尾本山駅跡地のすぐそばにある橋。
現在は新旧の同名の橋が架かっていますが、古い方は立ち入り禁止で渡れません。
足尾銅山の人々の往来を支えた橋です。
当時の人々の暮らしや生活を支える縁の下の力持ちのような橋だったのでしょう。
この橋から見える足尾の工場と眼下に流れる川の光景は見応えがございます。
西郷隆盛は西洋の国家像を直輸入した近代の日本には間違いがあると考えたまま西南戦争で戦死した。
明治10年のことだった。
ちょうどこの年、古河市兵衛は足尾銅山の経営に乗り出し、急激に生産量を増やした。
環境規制などない。
銅鉱石は野焼きにされたため大量の亜硫酸ガスによる煙害が発生し、明治10年代後半にはすでに足尾の山々はハゲ山になっていった。
だがそれは鉱業としては隆盛だったわけであり、多くのヒトとモノが活気をおびて動いていた。
川にかける橋が必要になり、明治18年には木造の「直利橋」がかけられたが、明治20年の大火で焼失。
そこで永久橋として鉄製の「古河橋」がかけられた。
明治23年すなわち田中正造が衆議院議員の初当選した年のことだった。
鉄橋はドイツ人の設計によるもので、荷重30トンに耐えられるトラス構造を採用している。
橋げたの向こうにみえる山々はかつてハゲ山だったが、約1世紀半近くたってまだ十分でないとはいえ、ようやく緑が回復してきた。
その回復の様子をご覧になりたいと、天皇皇后両陛下は、平成26年5月21日、渡良瀬遊水地・田中正造の直訴状をご覧になった後に足尾においでになった。
日本の近代化を支えつづけた反面とりかえしのつかない負の遺産をもたらした足尾銅山の歴史をおもう。
へぇ。
橋自体はよく分からないですが、隣接する精錬所と合わせてとても良い雰囲気です。
明治維新の日本の活力が感じられる貴重な遺産です。
価値の重さが感じられます。
足尾銅山精錬所跡に隣接。
最盛期の町の様子の解説板も何か所かにあるので近代歴史に興味のある人は是非足尾へ。
足尾銅山に架けられた歴史ある橋明治23年(1890年)、足尾銅山の近代化の一環として、渡良瀬川上流の松木川に架けられた古河橋。
それまでの木造の橋が火事で焼失したことから、当時としては珍しい、橋材は鉄製・橋板は木製のものになりました。
明治中期の道路鉄橋として原位置に現存する道路用鉄橋として、非常に価値の高い近代土木遺産とされています。
その後も、道路橋として住民の方に愛されていましたが、平成5年(1993年)南側に新古河橋が架設。
古河橋は立ち入り禁止となり、歴史漂う姿を見守るだけになっています。
と、日光ブランド協議会のウェブサイトにあります。
趣ある橋です。
家族でお出かけしました。
足尾です。
美味しい空気、自然いっぱいでした。
楽しかった(*´∀`)♪
何度行っても好きですね🎵三川合流ダム昔は水がなみなみあって覗くのが怖いくらいでしたが😱💦今は貯まって無いんですね。
古河鉱業跡地もなかなか良いです👍 わかるかなぁ😅
「日本でも数多く架設されたドイツ国ハーコート社製のボルト接合による橋梁の中では現存最古であり、橋梁分野の技術的展開を示す遺構として重要である」として国の重要文化財に指定されています。
一見するとただの古い橋ですが、れっきとした文化財です。
足尾銅山観光では外せないフォトスポットです。
橋は立ち入り禁止なので歩いて渡ることはできません。
車は公衆トイレ前に置きましたが路上なのでサクッと写真を撮りました。
通行禁止の古河橋へ行ってみた。
国鉄足尾線時代は、よく知らないが歴史を感じます。
🏡から愛車で駅まで行って駅から両毛線で桐生駅まで乗車。
桐生駅からわ鐵に乗車し終点の間藤で下車。
間藤駅から徒歩で廃線跡を散策し辿り着いた所は足尾本山駅。
立入禁止となっておりフェンスで囲まれている。
また間藤駅まで戻り間藤駅から日光市営バスに乗車し東武日光駅ヘ南栗橋行きの各停に乗車し下今市で下車。
下今市駅から特急スペーシアに乗車し栃木駅で下車して南栗橋行きの各停に乗車し南栗橋駅で下車。
南栗橋から急行半蔵門線直通中央林間行きに乗車し東武動物公園駅で下車。
そして東武動物公園から館林行きに乗車し館林で下車。
館林から小泉線に乗車し東小泉で下車し15分程待つ。
太田行きに乗車し太田で下車して太田からワンマン伊勢崎行きに乗車し終点の伊勢崎駅で下車。
愛車に乗車し🏡ヘ帰る。
足尾の産業遺産(国重要文化財)明治23年に完全した古河橋は、ドイツ人の設計よる長さ50m、幅4,6mのトラス式鉄橋です駐車場はなし,トイレの前に数台停められます。
日光市有形文化財。
明治中期の鉄橋として現存する貴重な橋。
明治23年11月完成、ドイツのハーコート社製、輸入業者は東京高田商会。
ワーレントラス方式とされ、トラスの数で長さを加減するプレハブ形式であり、当時ヨーロッパから主に開発途上国に輸出されたものである。
この橋から上流側に見える足尾精錬所の煙突こそが、「足尾」を一番感じさせる風景である。
左岸には大きなロータリー広場があり、この場所が往時非常に交通量が盛んであったことを偲ばせる。
ちなみに、輸入業者の東京高田商会は、現在のジャパネットたかたの前身である。
足尾銅山の歴史が見れるいい場所廃墟マニアと廃線マニアにはもってこいの場所。
明治期に架設され、その姿を今に留めている重要文化財。
周辺にも貨物線橋梁や精練所の遺構群が点在し、歴史散策にもってこいのエリア。
まず注意点としては、駐車場はないです。
現在は通行禁止になっている歴史ある道路鉄橋です。
隣接して公衆トイレがありますが、清掃はしっかりされています。
対岸にある精錬所跡地、その奥に見えるハゲ山と合わせて見ると、独特の世界観が味わえると思います。
足尾銅山の歴史をここで、覚えました。
歴史があるねーーー、、こがばし!このハゲーーーーーーー!!違うだろ違うだろーーこがじゃーーねーーよ!ふ、る、か、わ、橋ふるかわばし。
おもてなしー!
このような橋を残してくれてありがとうございます。
足尾は一つの時代の遺産の宝庫。
因みに写真は鉄道跨線橋です。
二回目の、今回はちゃんと写真撮って来ました。
橋上流側の右岸、頻繁にカモシカをみることができます。
足尾銅山関連の遺構には朽ちていく美しさがあります。
これは持論ですが修復された文化財などなんの美しさもないとおもっております。
名前 |
古河橋 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.1 |
周辺のオススメ

詳細説明はネット情報にお任せしますが、2024年8月現在、古河橋は渡れない様です。
遺構として何とか補修・維持して欲しいものです。
古河橋の傍に掲示された写真(右後ろが古河橋)には、数えきれないほどの子供達の笑顔があり、当時の賑わいを物語っています。
2024年(令和6年)現在の足尾町全体の人口が、最盛期の人口38,428名(栃木県下第2位)から1,320人と少なくなった事を思いながらこの写真を見ていると、足尾町のみならず、近年の日本の子供の人口減少を思い出してしまい寂しくなります。
頑張れニッポン!産めよ育てよ(古いか・・)