文化12年(1815)に焼失しました。
五重塔は、お釈迦様の遺骨を納める仏塔の一種神社である日光東照宮にある五重塔は全国で数えても3つ?ほどだそうです五重塔は仏塔で、5層が下から「地・水・火・風・空」という五大思想を表していると言われておりますなぜ、日光東照宮に仏塔があるのかといえば、江戸時代は神仏習合だったので神も仏が一緒という概念の元がありますこちらの五重塔の現在の東京スカイツリーと高さが同じで、こちらの五重塔は大きな地震にもほとんど被害がなく、スカイツリーでも同じ技術を採用しているそうで江戸時代にこのような高度な技術があるとは感心しました!
素晴らしい歴史的重要文化財です。
世界遺産内にある建物はどれも美しく、いくら見ても飽きません。
10月末の平日にいきました。
修学旅行中の学生さんが多く見学しており、修学旅行で世界遺産に行くことが出来るなんて凄いことだなと感じました(*•̀ㅂ•́)و✧
創建時の建物ではなく落雷のため一度焼失し、1818年に酒井忠進によって再建されたのが今の塔。
高さは36m。
東京スカイツリーの高さは634mで、五重塔の高さ36mと標高598mを合わせた高さが一緒の634mで同じ高さだとか。
とても派手でカラフルな五重塔。
現在の塔は1818年に再建されたもので築200年ほど。
全てが装飾という感じ。
地面に接することなく浮いた状態で吊られている心柱が有料で公開されていました。
軒下の実際に浮いている部分も見ることができます。
⭐️参道を進んで石の大鳥居の先、左手に聳え立つ高さ36mの「五重塔」、9~10階建ビルと同じ高さ、過去の大きな地震にも「吊られた心柱」で耐えた、江戸時代の木造建築技術の凄さ‼️近くで拝見すると全体的に朱色を基調に金色の金物細工、色彩豊かな彫刻と組み木、御本社に向かう表門入る前に参拝者を圧倒します、国指定の重要文化財😲⭐️1650年/慶安3年に若狭小浜藩/初代藩主酒井忠勝の寄進…「酒井忠勝」3代家光u00264代家綱の重臣(老中・大老)✨1815年落雷焼失、小浜藩10代藩主/酒井忠進が忠勝の意志を引継ぎ1818年に再建、それが現在の五重塔、敢えて再建した徳川譜代『酒井雅楽頭家』の心意気😄
久しぶりに見ました。
東照宮には見所沢山ありますが、一番好きかも✨
東照宮五重塔の免震構造はスカイツリーにも採用されています。
四重目から柱が吊るされていています、何故四重目からと言うと屋根の重みで五重塔が縮んだとき柱が天井を突き抜けてしまわないようにだそう。
21年11月に訪問しました。
色鮮やかな五重の塔でした、夕方4時に訪れましたが、沢山の参拝者が居ました。
言わずと知れた五重塔。
コロナで先延ばしになった修学旅行生が、たくさんお勉強していました。
日光東照宮の五重塔は【重要文化財】五重塔の高さは36メートルあり、特徴でもある「心柱・屋根」。
なんと3.11の東日本大震災の際も損害がないほど丈夫且つ精密に作られた建物なのです。
その理由として一つは屋根からぶらぶらと吊るされている心柱です。
この建築様式は、東京スカイツリーでも採用されているそうです。
また東京スカイツリーの高さは五重塔の高さと標高を合わせた高さが一緒の634メートルとされ多くの共通点があり不思議ですね!
鮮やかな色彩でとても豪華な感じがしました。
日光東照宮の最初の五重塔は、慶安3年(1650)に初代若狭小浜藩主の酒井忠勝が寄進したものでしたが、文化12年(1815)に焼失しました。
その後、文政元年(1818)に十代藩主酒井忠進が再建したのが現在の五重塔です。
高さは36m。
極彩色の日本一華麗な五重塔で、初層軒下には富田宿(現大平町)の名工 後藤正秀が手がけた十二支の彫刻があります。
また、初層内部にも漆塗り・彩色・漆箔がきらびやかに施されています。
塔を貫く心柱は事例の少ない懸垂式で、礎石には据えられず、四重から吊り下げられて浮いています。
これは、時を経て重みで塔身が縮んだ際にも、心柱が五重の屋根を突き抜けてしまわないよう、江戸時代に考え出された工法です。
こうした工法が可能であったのは、五重塔の心柱が構造上塔身から独立して、先端の相輪だけを支えているためですが、一方で、そのように塔身と分離した心柱は、免震の機能を果たすとも考えられてきました。
東京スカイツリーのデザイン監修者である元東京藝術大学学長 澄川喜一氏によれば、この五重塔の免震機能はスカイツリーの制振システム(心柱制振)にも応用されたといいます。
ここまでは無料で観れますね。
五重塔の真柱が公開されてました。
この真柱が後のスカイツリーに応用されているんですね。
ここの真柱は地面に乗っかっていません。
10センチ程浮かんでいるとのことです。
吊り下げ型の真柱らしいです。
真柱は金色で眩い限りです。
最下層の軒下に干支が描かれてました。
全部取れなかったのが悔しいです。
日光東照宮 の 五重塔酒井忠勝 が奉納した五重塔下から地・水・火・風・空の5つの層を表す!四方に干支が3つずつあり、正面の干支が右端 虎(家康)、真中 兎(秀忠)、左端 辰(家光)を表すそうです!
1層目室内金色。
真ん中の台の床は畳。
金色の心柱まわり4隅に仏像。
仏像は輪王寺のものだそう。
2層目以上は床板も天井板もなく白木のまま。
内部写真撮影禁止。
入口横に監視兼説明をしてくれる人がいます。
入場券買うとクリアファイルもらえます。
2020年8月五重塔の建築技術がスカイツリーの建設技術に使われているそうです。
1階の干支は、右から虎(家康)卯(秀忠)辰(家光)だそうです。
時間で拝観できるそうです。
日光東照宮の五重塔は正門を入ってすぐの左側の塔です。
日光東照宮の最初の五重塔は、1650年に初代若狭小浜藩主の酒井忠勝が寄進しました。
しかし、1815年に焼失しました。
二代目は3年後の1818年に十代藩主酒井忠進が再建しましたた。
それが今の五重塔です。
高さは36mもあります。
ファーストガンダムは18mになります。
なんとガンダムの2倍も大きいのです! ところで酒井忠勝って誰?となにますよね。
酒井氏(さかいし)は、日本の氏族のひとつ。
三河国の在地領主から、徳川政権下で譜代大名となった氏族です。
徳川四天王と言われた酒井忠次の孫が忠勝です。
昔からの家康の家臣ということですね。
酒井忠次といえば信長の野望をプレイした人ならばわかると思いますが、内政よし、戦っても良しのオールマイティキャラです。
本多忠勝だと内政はやや弱いので、武力のみとなっていしまいますね。
ところでもし、今、五重塔が焼失したらどうなるのか? 安心してください。
酒井忠勝の子孫がしっかりと大物になっています。
19代目の忠順さんが松岡産業という会社の社長さんをしています。
もし何かあった時には、19代目が中心となって再建してくれることでしょう。
焼失しないのが一番ですが。
五重塔で有名なエピソードは最近ならスカイツリーです。
五重塔の制振構造を応用しています。
塔の外側は634mありますが、その中に375mの芯があり、外側と芯は分離構造なので、地震が来ても揺れ方が異なり、塔全体で揺れが相殺される仕組みなのです。
地震が来て下が一方向に揺れると、上は芯の重さがオモリになって逆方向に動くので安定します。
これが「心柱制振」です。
五重塔の構造も塔を貫く心柱は、地面に据えつけられておらず、上から吊されています。
中央の芯が浮いてます。
と係員の年配の方が親切に説明してくれました。
何年か振りに東照宮に来ましたテレビ📺で5重塔の説明をしていました中に入り見学をして拝観受付所に入り説明のイヤーポンを借り説明を聞きながら見てきました新しい発見が色々有りました有難うございました。
五重塔といえば仏教建築ですが、日光と広島の厳島神社に関しては神社にある五重塔なのですね。
私が行った2019年10月にはスカイツリーと並べて看板で紹介してありましたが、ここの五重塔は耐震構造に優れていて、スカイツリーの耐震構造の参考にもなったと聞いて納得です。
多くの人は表側から見ていますが、個人的には裏から観るアングルが気に入っています。
特別に近くまで拝見させて頂ける期間で、建物の精巧な作りに、先人の方々の匠な物作りの技に感動しました。
五重の塔の中も有料ですが公開されてました。
あまり入ってる方はいないようでしたが(^^;)塔の中は空洞で、大きな円柱がぶら下がっているのはなぜなのか?入ってみてもいいかもね。
2018年5月訪問。
有料で外国人の方がすぐ近くにいなくゆっくりと拝観できる。
どまんなかの柱(心柱)が懸垂式なるもので地面から浮いていて免震の役割を果たしているとのこと。
彩色されきれいな塔です。
前の広場は参拝客ですごいですよ。
この仏塔のような神社内の仏教施設は明治時代にたいがいぶっ壊されている中でこれは貴重。
江戸時代に一度落雷で焼失していてより豪華に再建されたもの。
東西南北の四面に三体ずつ、方位を表す十二支の浮き彫りがある。
重要文化財 五重塔 内部公開してます。
五重塔の内部公開は珍しく、他では今のところありませんでした。
少し高価ですが、よかったらどうぞ。
五重塔だけでも迫力があるが、人々の目的はやはり東照宮。
周りの杉も五重塔並の迫力。
2017.6下旬に行った際には有料(200円)で心柱を公開していました。
記念にクリアファイルももらえます。
※内部の撮影は禁止せっかくなので、200円払って中を見ると、心柱は、上から吊ってある珍しいタイプで、下が浮いているのが見えます。
四面の扉の上には十二支が3匹ずつ描かれているので、それも近くで見られます。
まあ、話の種と修繕費に役立てられると思えば、200円なら良いかなと思うところです。
名前 |
日光東照宮五重塔 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0288-54-0560 |
住所 |
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評価 |
4.3 |
本来『多重の塔』(三重・五重)は『仏の遺骨』(仏舎利)を治める為の物です。
『聖武天皇』の派遣した遣唐使船により『神道』の国、日本に『仏教』が伝来し庶民にまで広がります。
やがて『本地垂迹説』(『神道の神々』は『仏=本地の変身した姿=権化』とすると辻褄が合う)が起こり、『神』と『仏』が同一視されます。
『平安時代』以降『寺院境内』に『神社』を造る『神宮寺』が各地で建設され『神仏習合』と呼ばれる文化が盛んになります。
やがて明治政府発令の『神仏分離令』が出されるまでこの風習は続きます。
現在日本各地の『神社』に『多重の塔』が残されているのは此の為です。
ついでに。
同時に出された『廃仏毀釈令』により各地各所でお地蔵さんの頭部が壊される事案が多発、現在の『首なし地蔵伝説』に繋がっています。