太平洋戦争硫黄島司令官栗林大将菩提寺です。
石造りの建造物が派手なお寺でした。
庫裏の裏にある小さな池を見逃してしまいましたが、ヒキガエルの産卵地で保護されているそうです。
凄い!歴史の人物をお参り出来るなんて光栄です。
最初雨が降っていたのですがお参り後晴天になり何か縁を感じました。
ありがとうございます。
このお寺には先の大戦の名将、栗林忠道中将のお墓があり、個人的に硫黄島の戦いで、東京を始め本土空襲から一日でも長く防ぐ為に命を賭して、硫黄島を死守してくださったことに感謝をし、また御冥福を祈りたくて参拝しております。
合掌先日、長野インターを出て左折して、松代市街を通らず、そのまま直進して、明徳寺に行くことのできる道が出来ていて、とてもアクセスが良くなりました。
近くにある皆神山の皆神神社にも行きやすくなりました。
静かな寺院です。
栗林大将❔ 勉強不足で解りません❗
1390年(南朝:元中7年、北朝:明徳元年)に僧妙徳により開山。
戦国時代には甲斐武田氏家臣で、信濃更級郡の香坂氏の養子となった海津城代の春日虎綱(高坂弾正昌信)の帰依厚く、1533年(天文2年)に諸堂を修理し重興開基となる。
玉山春洞を招き明徳寺は曹洞宗となる。
境内には虎綱の墓所があり、『甲斐国志』によれば明徳寺には香坂弾正虎綱の没年を天正6年5月初7日とする伝承を伝えているが、これは誤りであることが指摘される。
武田四名臣の一人で海津城主高坂弾正公、太平洋戦争硫黄島司令官栗林大将菩提寺です。
重厚、荘厳なお堂が鎮座します。
ご住職不在が多く御朱印は書置対応して下さいます。
無料駐車場有。
天気も良く暖かくて、気持ち良くお墓参り出来ました、中学生の担任南無真如🙏
海津城城主 高坂弾正昌信のお墓があります。
桜も満開でした。
松代町のはずれにあるお寺なのですが、境内の裏にある墓地の中に硫黄島の戦いを指揮した栗林中将のお墓があるということで訪ねることにしました。
栗林中将は松代町の出身だったのです。
墓地には他にも松代藩主である高坂弾正のお墓もありました。
栗林中将のお墓を探すため、境内を散策していると天然記念物としてヒキガエルの産卵池という場所がありました。
本来ならば山麓の池などで見られるヒキガエルが産卵する光景がお寺の庭園の池で見られるのはとても珍しいことなのだそうです。
このお寺ではヒキガエルは保護する対象になっており、春になるとヒキガエルはこの池で産卵します。
特に日暮れからはヒキガエルの行動が活発となるために訪れた方に対して騒音などを立てないように注意を促しているということです。
初夏にはヒキガエルが小さなカエルとなり、お寺の庭を飛び回るので踏み潰ぶすことのないように庭に入れないようにしているそうです。
栗林中将のお墓は戦死されたことで中将から大将になったにも関わらず意外と普通のお墓であったことに驚かされました。
山の中にある由緒あるお寺歴史上の人物のお墓もある。
お庭ゆっくり見たかったのですが梅雨時期でしたので急な雨が降ってきてしまい余り見れませんでした。
お家の入り口にインターホン有りまして“ご用の方は…”御朱印を頂くため押しました。
ご丁寧に奥様が対応していただきました。
静かな場所でした。
硫黄島からの手紙を見て、いつかはと思っていました、やっとお参りできました。
松代城の前身、海津城の城主だった高坂弾正昌信のお墓があります。
立派なお寺の一番良い場所にあるお墓。
墓石の正面が磨り減っているように見受けられました。
地元の方やファンの方が撫でていくのでしょうか。
大切に思われているんだと感じるお墓でした。
とても豪華なお寺でした。
県道35号線沿いの豊栄小学校の裏山に有ります。
高坂昌信の菩提寺で、真田丸でも紹介されたお寺です。
高坂昌信と栗林中将の墓所です。
大河ドラマ風林火山の放映終了の翌年に訪れました。
恥ずかしながらこのお寺を訪れて栗林中将のことを知り、映画・硫黄島からの手紙を見ました。
高坂昌信の墓。
栗林忠道 陸軍大将(戦後1967年(昭和42年)、勲一等に叙せられ旭日大綬章を受。
)英霊の御柱は今もなお、硫黄島(いおうとう)に居し、奥つ城、明徳寺に在。
国の為 重き努を 果し得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき祖国・家族を思い 要を堅守された先輩に 報いるよう努めたい。
高坂昌信のお墓がある。
名前 |
明徳寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
026-278-8621 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
映画、硫黄島からの手紙で渡辺謙さんが演じた栗林忠道中将のお墓があります。
そして、川中島の戦いでも有名な武田家の武将、高坂弾正のお墓もある由緒あるお寺です。