屋根の両脇がツンと立ち上がっている姿が美しいです。
初めて通った道で少し気になって寄ってみたら、とても綺麗なお寺でした。
つつじが綺麗に咲いていました。
東京23区では1番古い木の建築物みたいで、重要文化財になっていました!ちょうどお掃除をされていたので大切にされている感じです。
緑も綺麗で癒されました。
早春の景色で、梅が咲いています。境内は四季折々の風情が楽しめて、時折地域交流行事のようなイベント(座禅会や法話会など、H27,28年頃はよく行きました)が開かれる由緒ある寺院です。仁王門、鐘楼、釈迦堂、阿弥陀堂などがあり、重要文化財にも指定されているそうです。
京都の寺社に負けない美しいお寺。
釈迦堂は東京23区で最古の木造建築とのこと。
参道沿いの梅の花も見事。
趣のあるお寺。
有名人もたくさんの方々が眠ってます。
大晦日には除夜の鐘がつけます。
最寄り駅 東急目黒線 西小山駅徒歩10〜15分天台宗の寺院。
圓融寺とも表記される。
山号は経王山 本尊は阿弥陀如来かつては、妙光山法服寺と称し、天台宗の寺院であった。
寺伝では853年(仁寿3年)円仁(慈覚大師)が法服寺を建立したという。
1283年(弘安6年)日蓮の弟子・日源により、日蓮宗に改宗し、妙光山法華寺と改称した。
中世から近世にかけては吉良氏や徳川氏の外護を受け、坊舎18、末寺75箇寺を数えた。
1630年(寛永7年)身池対論には法華寺から日進が臨んでいる。
法華寺は不受不施派の寺院として江戸幕府の弾圧を受け、改宗を余儀なくされ、1698年(元禄11年)再び天台宗の寺院となった。
1834年(天保5年)経王山円融寺と改称する との事です。
重要文化財の本堂(釈迦堂) - 室町時代中期(1393年-1466年)の建立が素晴らしく仁王門の仁王像も大変素晴らい物です。
山門から参道、仁王門、釈迦堂への一直線に伸びており雰囲気がかなりあります。
駅からはそれなりに歩きますが一見の価値は十分です。
平安時代前期、仁寿3年(853)慈覚大師(円仁)の開基と伝えられる古刹で、目黒の閑静な住宅街に有ります。
南門から縦一列に門と堂が並んでいます。
仁王門は浅草と赤に王と対比される黒仁王。
抜けると国重要文化財の釈迦堂。
墓地域には王、張本両選手の生前墓、渡哲也さん、西城秀樹さんが眠るお墓が有り、今も多くのファンが参拝されています。
2月初めに訪れた時は紅梅が綺麗に咲いていました。
重要文化財指定の本堂(釈迦堂)は、23区内で最も古い木造建築だそう。
室町時代初期の様式のその姿は、現代の私の目には「いぶし銀」とでもいいましょうか、そんな渋みと美しさと懐の深さを感じさせる佇まいで、うっとりしてしまいました。
仁王門から本堂へと続く境内は、そのまま時代小説の世界に連れて行ってくれそうな雰囲気で、シビレました。
阿純章和尚さんのお人柄にひかれて参詣させていただきました。
ご歓待ご歓談いただき大感激です。
室町時代の建築を都内で見られる貴重な寺院。
重要文化財。
由緒あるお寺ですが、境内の庭がきれいです。
ここだけまるで鎌倉に来たような錯覚を覚えます。
ちなみに、野鳥は朝夕とさえずり、オナガやムクドリを度々見かけます。
釈迦堂は23区内で最も古い建物のようです。
夜は不審な車が時々駐車しているので女性の一人歩きはお勧めできない。
〔経王山 文殊院 圓融寺/ Enyuuji Temple〕平安時代に創建された古刹です。
創建は第三代天台座主、慈覚大師です。
《天台宗》平安時代、仁寿3年(853年)で、法服寺という寺名でした。
天台座主、慈覚大師(延暦13年(794年)~貞観6年(864年))が開山しました。
慈覚大師は、生涯に七百以上のお寺を開創しましたが、東京の目黒不動や平泉の中尊寺等も、開創しました。
《日蓮宗》弘安6年(1283年)に日蓮宗に改宗しました。
その時には、妙光山法華寺という名称でした。
江戸時代に、事情があり、天台宗に戻りました。
その後、現在の寺号になりました。
《圓融》寺号の圓融には、天台宗が説く三つの真理、空諦、仮諦、中諦が、溶け合いながら、同時に存在しているという意味があります。
寺号だけでも、仏教の教えへの想いを深めてくれます。
〔アクセス〕東急西小山駅 徒歩15分。
目黒駅からバス「碑文谷二丁目」、渋谷駅からバス「円融寺前」下車。
室町初期創建の釈迦堂。
静謐な境内で落ち着けます。
経王山文殊院円融寺。
天台宗の寺院。
御本尊は阿弥陀如来。
平安時代に創建されたとされる天台宗の古刹で、仁王門に安置された永禄2年作の「黒仁王」や国重要文化財に指定されている釈迦堂などいろいろな文化財があります。
また、境内は落ち着いており、よい感じでした。
戦国時代の北条家の発展を支えた名将で北条五色備えの赤備え隊大将、北条綱高公の元菩提寺。
更には鎌倉公方代理を務めた横浜市南区の蒔田城主吉良家からも支援された。
天台宗の大寺院。
現在の広大な境内地に加え、嘗(かつ)ては現在の町区分を跨いで更に多くの寺領を所有していた。
総門~仁王門と立派な境内を誇るが、その内でも仁王門は戦国時代の建物が現存して今に至る等、文化財も多く抱える古刹。
仁寿三年(853年)に天台宗寺院として開基され、後に弘安六年(1283年)に時の大檀那(御寺のオーナー)によって日蓮上人の弟子の日源上人が住職として招かれた。
その際に一時、妙法山 法華寺と山号と寺号を改めていた。
其の後、法華寺時代には鎌倉時代末期~室町時代~安土桃山時代~江戸時代初期を通じ近郷を領有する小大名の蒔田吉良家や北条家の重臣北条綱高公に支援され、後に安土桃山時代に北条家が豊臣秀吉によって改易されると徳川家により寺領保証の御朱印を拝領し存続した。
大いに繁栄したが、江戸幕府によって日蓮宗本山と認識されていた身延山久遠寺派の方針と異なる関東の不施不受の教義を尊重し久遠寺と対立した為に幕府の支持を失い一時衰退すると、幕命により天台宗に戻された。
天台宗に再改宗し再興開基された際に山号院号寺号の全てを經王山 文殊院 圓融寺と現在の名将に改め今に至る。
歴史的にも名将の蒔田吉良成高公や北条綱高公の活躍と出世からも、とても御利益の有ると言える御寺です。
風情があり落ち着きます。
歴史を感じるお堂があり、秋は銀杏の黄葉が楽しめますね。
目黒の住宅街のなかの静かな所です。
梅や桜がきれいです。
住宅街にある静かなお寺です。
お散歩に最適。
天気も良く、いち早く桜が沢山咲いていたから。
仁王門に釈迦堂、歴史を感じる素晴らしい建物です。
本堂(釈迦堂)は国の重要文化財です。
国指定重要文化財の釈迦堂がある、由緒あるお寺。
普段は釈迦堂内に入れないが、月に一度、朝と晩に堂内を開放して皆んなで座禅をするイベントがある。
その会でのご住職のお話が大変面白いので、このお話を聞きに来るだけでも遠方から足を運ぶ価値があると思う。
他にもヨガ、年越しにはプロジェクションマッピング、マルシェ、演奏会など仏教に興味ない人も楽しめる、様々なイベントを開催している。
ホームページをチェックしてから訪れることをお勧めする。
緑が多くて、癒されます。
2017/10/14拝受 天台宗。
山門を入ると仁王門、本堂(釈迦堂)、阿弥陀堂が一直線に並んで建っている。
整然と建つ姿は美しい。
仁王門からは本堂(釈迦堂)が覗ける。
住宅街のど真ん中に素晴らしい寺院がありました。
有難く御朱印を頂きました。
感謝です!
釈迦堂、室町時代初期建立、明治44年国宝に指定、都内最古木造建造物。
釈迦堂の奥に阿弥陀堂。
右手に斎場の示真殿。
左手に目黒区立圓融寺公衆便所、その先に裏口あり。
静かなお寺です。
定期的にイベントの催しがあったり、墓地には元読売巨人軍の王さん張本さんのお宅のお墓も。
入り口が狭いわりに、奥は広く綺麗です。
空気もよくとても気持ちの良いところです。
名前 |
円融寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3712-2098 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
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釈迦堂は都内にある国指定重要文化財の一つで、屋根の両脇がツンと立ち上がっている姿が美しいです。
江戸中期には品川の東海寺からこの円融寺を巡るのが江戸庶民の遠足として人気があったそうです。
仁王門の仁王像はその色合いから「黒仁王尊」と呼ばれ親しまれたと円融寺のウェブサイトに紹介されています。
山門から小さな参道、仁王門、釈迦堂の風情は趣があり、梅の開花時期には参道に色合いが足され、また美しく雅です。