寛政年間の常夜塔二基が社殿両隣にある。
僕の家の近くです。
夜にひっそりと行きましたなんか人影見えて消えましたし風格有ります。
古そうな立派な神社です。
駐車場ありません。
第二産業道路が近くにあります。
寛政年間の常夜塔二基が社殿両隣にある。
狛犬は嘉永二年奉納のもの。
また、社殿裏手に小祠あり。
稲荷社か。
社殿右手に二つの石碑。
ひとつは、合祀碑で、この神社の由来を軽く説明した上で、明治の社格制度によって村社になったこと、神饌幣帛料供進社に指定された旨等が刻まれている。
特に近隣の火産霊神社他十社を合祀したことがポイントの模様。
合祀された残りの神社は碑石の左側に刻まれているが、それでも三社は元地が不明。
もうひとつは、日露戦争の戦利品(砲弾四個。
シャベル一個。
)を奉納した旨が記載されている。
これに関連して、手水舎の裏には、日露戦争の凱旋記念碑が建てられている。
境内の入り口周辺に落ちている漬け物石のような丸石は力石。
全部で三個あるだろうか。
特に樹木の袂にあるひとつは、表面に「三十四〆目」「外山新左衛門 宿願 成就」など重さなどの情報が彫られているのがよく読める。
『埼玉の力石(p446)』によれば、鷲神社には宝永四年銘の力石があるそうで、これはさいたま市見沼区で確認できる最古の力石となる様だ。
伊勢詣りが盛んだったようで、「大和田伊勢大々連」という講中による石碑があちこちに見られる。
例えば、手水舎の向かいにある二つの石碑がそれ。
また、明治五年に建てられた尋常小学校を修築した旨の石碑が集会所の左手奥に建っている。
漢文のため漢和辞典がないと読むのがきつい。
ただ一応、明治初期の小学校は寺子屋に毛が生えたようなものであり、近隣の寺を間借りして、元寺子屋の先生が読み書き等を生徒に教えていたことが大半であり、現在の様な校舎等を整えるには、近隣町村がお金を捻出する必要があった。
これが村々の一大事業になっていたため、小学校の校舎建築、改修、教師の確保等を記念する石碑などが神社に建てられることがある。
日本の教育史の知識からの推察だが、これもその類いだろうと思う。
最後に、その手前には富倉林蔵なる人物が帝国公債額面三千円を尋常高等小学校(現在の中学校に当たる。
)の建築のために寄付した石碑もある。
本当に癒されます。
偶然通りかかったのですが、良かった。
交通量の多い道路沿いにあります。
散歩がてらお参りしてはいかがでしょうか。
古くからある由緒ある神社です。
アニメで人気になりました。
昔ながらの村社。
近くにある道路のために昔ほどの雰囲気は無くなったが、今でも小さな林が遠目にもこんもりとして風格を示しています。
年末年始は氏子の方が甘酒を振る舞ってくれて、とても暖かな雰囲気を味わえます。
散歩の途中よくこの坂を下ります。
鷲神社境内には大きな栴檀の木があって秋口には沢山の実を落とします。
はじめてなのになつかしく不思議。
個人的に懐かしい場所。
私が小さいころの思い出の場所。
名前 |
鷲神社(大和田町) |
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ジャンル |
/ |
住所 |
〒337-0053 埼玉県さいたま市見沼区大和田町2丁目462 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
静かで落ち着いてる場所だよ!