若かりし頃を過ごした ところとなります。
源頼朝公配流の地 蛭ケ小島 / / .
源頼朝公は 平治の乱 父 義朝公の敗戦で 流刑とされ、 若かりし頃を過ごした ところとなります。
隣に北条政子と共に 富士山を 眺めている ところです。
2人で何を夢見ていたのでしょうか?
平成の頃に整備されるまで、蛭島碑記の石碑のみで、訪ねようにも地図に書いてなかった学生時代の記憶がある。
今は綺麗に整備され、頼朝夫妻の銅像があり、営業時間は短いが茶屋もある。
春に訪れたが、桜は散ってしまったものの、花壇の花が綺麗で周囲の景色も緑が綺麗だった。
十台ほど停められる駐車場あり。
2024年3月30日に訪れました。
平治の乱1159年で敗れた源義朝の嫡子源頼朝が、配流となった場所です。
当時は、狩野川の中州の一つだったようです。
源頼朝は、永暦元年1160年14歳でこの地に流されました。
治承元年1177年に北条政子と結ばれます。
治承4年1180年山木攻めを行い、34歳で旗揚げしました。
鎌倉幕府を開くまでの約20年間をこの地で過ごしました。
静岡県は伊豆の国市に有ります「源頼朝公配流の地 蛭ヶ小島」です。
平安時代後期•永暦元年(1160年)の事…源氏は「平治の乱」に敗れ、源氏の御曹司である源頼朝は伊豆へと配流の刑となりました(池禅尼の助命嘆願により平清盛が温情で命までは取らなかった)。
頼朝はその後20年間この地で過ごし、そして20年という時を経て平家討伐の為に再挙兵を果たしました。
清盛さんの優しさが仇になってしまいましたね。
(因みに配流地伊豆での頼朝の監視人である鎌倉北条氏の出自•本姓は、桓武平氏•平国香流で平直方の流れとか。
平国香流という事は…後に反目した平清盛と同門という事になりますね…平安•鎌倉期は複雑です)またその20年の間には、近隣を所領としていた在地豪族の伊東氏の娘•八重姫と恋仲になり子供を産んでいます。
そしてその後は監視人だった「鎌倉殿の13人」で御馴染み愛されキャラ北条時政の率いる北条氏の、後に尼将軍と呼ばれる娘の北条政子と結婚しました。
北条時政率いる北条氏は、かくして源氏の御曹司•源頼朝に与する事と相成ります。
この地には源頼朝と北条政子二人仲良く寄り添う像が立ちます。
ただし…この場所の発掘調査では、平安時代の遺構は出て来ていません。
しかしながら平安•鎌倉期の大切な資料である「吾妻鏡」には、源頼朝の配流の地が「蛭島」と記されているとの事です。
まぁ…恐らくは、この辺りの何処かという事でしょう。
これだけ時が流れていると、正確に場所を特定するのは難しいですからね。
さぁ頼朝様大冒険が待っていますよ。
いざ行かん。
前回は天気が良くなかったんですが、今回は天気が良く富士山が見えたので写真を追加します。
夫婦が富士山を見て何かを決心したような様子が伺えました。
また小さな花壇にはネモフィラが咲いていましたのでその写真も追加します。
以下は前の口コミです。
平治の乱で負けた源頼朝がこの地へ流罪となり、北条政子と逢い結ばれ、武士政権を執るべき発起した場所です。
まさに鎌倉殿の13人大河ドラマの出発点ですね。
パワースポット的な縁結や出世のご利益がありそうです。
公園内には頼朝と政子の像の他には茶屋があるだけですが、鎌倉殿の13人を見た人は訪れておきたい場所ですね。
また付近の歩道には頼朝や北条氏ゆかりのタイルが埋め込まれていたりしています。
天気がいいと富士山が綺麗に見えるそうで、頼朝と政子も富士山を見ながら何かを話しています。
蛭ヶ小島、田方平野の田園風景が広がり頼朝政子像の肩越しに世界遺産富士山が見えます。
この素晴らしい景色を守るために電柱は埋め、田畑を行政が守って欲しいと地元民は強く思います。
島というから海の中かと思っていました。
川中島だったんですね。
当時の狩野川はよく氾濫したのか、これで流刑扱いか。
ボランティアのおじさんが歴史を教えてくれます。
駐車場も広くてトイレもあります。
すぐ近くに大河ドラマ館もあります。
田んぼや畑の真ん中でのんびり気持ちよいです。
大河ドラマ館に来たら、すぐそこ🫵田んぼの中にあるんですね。
狩野川からは離れてます。
🅿️🚙駐車場は裏側にあります。
無料休憩所で、蕎麦、コーヒー☕️もいただけます。
トイレもあるので、良かったです👏
大河ドラマ館の後にいきました。
夫婦像は富士山を向いているそうです。
ただ、像があること以外は普通の公園です。
大河ドラマ館拝観後👀ここににも訪れる場所。
ドラマ館から歩いて数分の場所。
天気の良い日は気持ちがいいです☀️歩道路面にちょっとした鎌倉時代エピソードプレートがありそれを観ながらが面白かったですgood👍茶屋もありお茶や食事ができます🍵☕️🥢源頼朝像、北条政子像越しに見えるであろう富士山がこの日は見えなく見たかったですね🗻
数年前より利用しています。
お弁当を買って、富士山を観ながら、のんびりブランチをするには最適な公園ですが、今年(2022)は大河ドラマの影響でのんびり出来そうもありませんね。
春は枝垂れ桜がキレイなので、韮山を訪れた際はひと息入れに来て下さい。
鎌倉殿の大河ドラマを見る上で、勉強になる史跡です。
跡地なので何もない。
観光地として考えると★1個近所の人が使う為の公園としてはよく整備されています。
綺麗に整備されていましたが、余り歴史的意味が分かりませんでした。
頼朝と政子が富士山に向かって立っています🎵政子の顔が可愛らしい💕
鎌倉の歴史研究のためにこの地を訪ねました。
私は思い入れがありますので感動しながら楽しみました。
頼朝と政子の像も嬉しかったです。
ただ、観光客には面白くないだろうなと思います。
源頼朝が配流された場所です。
後に近習や北条氏と共に旗上げしました。
石碑のみで当時を偲ぶものは何も無いです。
頼朝公と政子さまの銅像と同じ目線で、お二人が眺めた富士山を観るのも良いかも。
歌舞伎の演目でもあるくらい有名な蛭ヶ小島だが、一般的には認知度低め。
けれど思いを馳せるには良い場所です!
平治の乱で負けた源頼朝がこの地へ流罪となった。
島って云うから長年、伊豆大島みたいなとこかと勘違いしてた。
一応昔は中洲の島であったらしい。
この地にて北条政子と出会う。
地元の方が朝から掃除してて綺麗な公園。
平治の乱により、勝利した平氏一門が天下を掌握することになり、敗れた源氏の棟梁・源義朝の嫡男・頼朝は囚われの身となり死罪を命じられましたが、平清盛の継母・池禅尼の懸命な助命嘆願によって一命を許され、永暦元年(1160年)伊豆韮山の地に流罪となりました。
当時の狩野川は、今とは大きく異なった大河で頼朝が流された場所は、狩野川の中に有ったと云われるおおきな中洲であった事から【蛭が小島】と呼ばれました。
現在の蛭が小島は、中洲の中の小島としての面影は全くなくなり、頼朝と妻・政子の立像が往時を偲びます。
頼朝は、流罪になった14歳から旗挙げをする迄の20年間に亘り多感な時期をこの地で過ごしました。
この地が、流罪の地と云われているのは、江戸時代の学者・秋山富南が、この地が配流地と推定したとあるが、比定地であるかは不明です。
史跡として特に遺構無い。
しかし!歴史偉人、源頼朝公と北条政子様の結ばれた♥️愛の巣♂♀💕の跡。
縁結びのご利益絶対有りそうな場所。
富士山綺麗~♪御二人も富士山見ながら縁側で仲睦まじく寄り添ってお話しされてたんだろうか?
なぜ島なのか?疑問だった。
が、ガイドさん(地元のボランティア)の説明で理解できた。
自分の想像力を駆使して、当時の様子を投影しながら頼朝像と富士山を眺めると楽しい。
そこらへんに置いてある、巨石の上に登って見ると、臨場感が増すのでおすすめ。
頼朝が流された流刑地教科書にも出てくるポイントです!
●来てみて初めてわかること。
小島というからには、島なのかと思ったら、どうも当時も島ではなかったようで…。
今日から見れば鄙びた田舎とは思うけど、本当のところはどうだったんでしょうね。
頼朝の青年期を育てた場所は、穏やかな自然の中にありました。
歴史上、重要な場所だと思うのですが、現在は寂しい…
源頼朝が韮山に流されてきた場所。
特に何もないです。
この場所が完全一致で特定されているのではなく、本当のところはよくわかってないらしい。
江戸時代の学者の秋山某と言う人が、“ここでない?”と研究発表したらしい。
残念なのが、発掘しても平安後期の遺構が出ない事。
それでもこの韮山の辺りに、流されたのは間違いないでしょう。
気になるのが、数百年の月日が流れたといえ、“あの源頼朝”が20年近く住んでいた場所の痕跡がほとんど何も残されていない事。
20年ってスゴく長いですよね?20年生きるの大変ですよね?昔なら更に、月日の価値は高いと思います。
ここまで何もないかぁと感じてしまいます。
この地で、源氏復興を夢見、北条政子と出会い結婚とドラマはあった筈なのに、残念。
ただ、当時の関連した史跡も残されてはいるので、空気は感じられます。
蛭ヶ小島周辺には、後北条氏の居城“韮山城”、世界遺産“韮山反射炉”、韮山代官“江川邸”、北条時政の墓、など歴史的な見所がある施設、史跡が多々ありますので、セットで足を運ぶと良いかもです。
小さいですが、綺麗にまとまってます。
近くにいますが、初めて訪れました。
桜の美しく咲いていました。
頼朝公が、このあたりに流されたという記念碑的な場所ですね。
発掘調査しても、それらしきものは出なかったみたいです。
ちなみに夫婦像は、富士山を見ているので、写真はいつも逆光になってしまいます。
富士山が見える。
広々した眺めの良い広場。
トイレ、茶屋と、凄い整備されてる。
伊豆の国市はここを観光スポットとして売りだそうとしているようだが、どうなるか。
名前 |
源頼朝公配流の地 蛭ケ小島 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
【2023年10月29日☀️】韮山にきました!すっごい田んぼだらけ!のどか~✴️どれくらいのどかかと言うと歩いていたら小さく競馬の中継が聞こえてきた。
『ん?どこから?』と見渡すとず~っと遠くの田んぼで作業をしていた人のラジオからでした!すっごい静か!(誇張してません)蛭ケ小島公園までここを真っ直ぐ行けばよいんだな……もうすぐ着くな……と思いきや!公園までの歩道に歴史情報がたっくさん!北条早雲!この後韮山城跡行くんだよなーじっくり読んで写真をとる📷️少し進むとまたあるまた少し進むとまたあるうーん……何個あんねん⁉️ってくらい続く!いや、楽しいから有難いけどね!でもこれのせいで公園内の蛭ケ島茶屋に間に合わなかった!皆さんは気をつけてくださ~い😀閉店時間チェキラ!👌